「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

おみい

外部資料
みそ雑炊のことを「おみい」という。雑炊の語源は古くは「こながき」といい、雑炊の粉を熱湯の粉を熱湯でかき混ぜて捕食または薬食にしていたが、後に多くの水を加えて穀類の汁となり「増水」が後に「雑炊」と当て字が使われるようになったのは、穀類のほかに野菜類や肉類を加えるようになってからで、関西では「おじや」と呼ぶのは女房詞(宮中や貴族が用いる言葉)である。
雑炊にみそを加えたみそ雑炊を「みそうず」または「おみそうず」といい、さらに「おみい」というようになった。
大和では、ご飯が少し足らないときやあ寒いときには「おみい」をよく食べる。つまりみそ汁に冷ご飯と大根、ニンジン 水菜や油揚げなどを入れてたく。また里芋、素麺を加えたり、季節によって「きのこのおみい」を炊いたりする。
懐かしい味の食べ物 夏には お出しにして冷やしたものが美味しそう。



■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

ごんざ

外部資料

大和の国中では、秋祭りの宵宮には頭屋(とうや)が祭りのごちそうをつくり、氏子にふるまう習慣が今でもあるようだ。頭屋とは、氏子が一年交代で務める氏神さまの世話役のことである。頭屋の仕事は正月のしめ縄の「とんど」に始まり、「麦秋」、田植えの終わる「さなぶり」や二百十日の無事を祈ったり、田の神を祭ったり、神社に終日おこもりをして日の出を待つ「日待ち」などの世話をするとのことである。そして頭屋の一年間の最後のお勤めが秋祭りのごちそうづくりになるというわけで、これを宮座という。
宮座のごちそうは、まず「ごんざ」をつくり、氏神様に供えたお神酒と共に皆で頂く。「ごんざ」の語源は「権座」つまり神様と共にいただく意味からとも推測される。
小芋 こんにゃく マツタケなど煮物、焼きものはエソの塩焼き(エソはかまぼこになる魚のこと)白和え 案餅をたくさんつくって氏神様に持っていく。
「頭座の晩に重箱下げて」といわれ 頭屋の御ちそうを重箱に詰め込んで運んだと思われる。素朴なごちそうではあるが、氏神様を中心に農耕の祈りと感謝の生活を営んでいたことがうかがい知れる。



■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

奈良の酒 南都あられ酒

外部資料

平常宮跡から発掘された木簡にも「造酒司」という文字が見える。およそ酒は、世界の国々でも神話の中に必ず存在し、人類の生存するところに自然発生したものと思われる。果実が自然に発酵して酒になり、畜乳が自然発酵して乳酒になり、農耕時代には、穀類を口中でかんで唾液で糖化されたものを吐き出して、自然発酵をして穀酒になったという。
日本酒は穀酒である。素盛鳴尊(すさのおのみこと)が大蛇退治をした伝説にすでに酒が出てくるが、どのうおうな酒かはだれも分からない。万葉の時代には女性も酒を飲んだらしく、万葉集に残されている。万葉の時代も、奈良時代も天平時代までは多分濁り酒であったに違いないといわれている。
現在のような清酒のそもそもの始まりは、濁り酒の上澄み液をとったものであろう。平安時代に、袋を用いて圧搾して液とかすとを分ける方法が行われていたともいわれている。室町時代には奈良市菩提仙の正暦寺僧坊で造られていたという。「奈良酒」が、清酒の名酒として古い記録に残されている。
「南都あられ酒」の起源は天平年間という説と江戸慶長年間という二つの説がある。その隔たりはあまりにも大きいので新偽はわからない。
万葉集に
「さかずきに うめのはなうかべ おもうどち のみてののちは ちりぬるともよし」
と大伴 阪上朗女(おおとものさかのうえのいらつめ)の詠んだ歌がある。この時代に酒に花を浮かべて賞賛したとの意味で、天平時代、孝謙天皇が春日神社へ行幸された折に、御蓋山おろしに急にあられが降り、お神酒(おみき)のなかに浮遊したのをご覧になって御感ひとしおであった。これから「あられ酒」の名が始まったと「東山雑記」に伝えらえているという説がある。
また慶長年間の師走半ばのある日、漢方医の糸屋宗仙という人が春日神社へ参拝した帰途、猿沢池にさしかかるとあられが降ってきて、池の面に落ちては沈むその風情をヒントを得て、風流人の宗仙が「あれれ酒」を工夫したものだという説もある。




■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43-8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

三輪そうめん とにゅう麺

外部資料
素麺は多く夏向きの食品におもわれるが、「大和」では「にゅうめん」として年中食べられる。夏は温かいのを冷たくして、冬は、温かいままいただく。「にゅうめん」は煮麺のことである。
「にゅうめん」は、お吸い物より少し濃いめの味を付けた汁にゆでた素麺を入れ、ひと煮立ちすれば丼鉢に汁と共に入れて、かまぼこ 薄焼き卵 鶏肉 含めにのシイタケ 青みなど季節の具を上に飾る。
「みそにゅうめん」とでもいえるのか、大和では夏にカボチャとナスの味噌汁に素麺を入れて食べることが多い。煮あがった味噌汁を火から下す少し前に、素麺の束をさばいてそのまま入れるのである。適当な粘りけがあって素朴な味である。
奈良時代に唐から伝来した素麺の技法は、大和の中央にある三輪地方(桜井市)に伝わり、この地は初瀬川や巻向川の良質の水に恵まれ、そのうえ川の流れの落差が大きく水車による製粉が盛んにおこなわれたことなどから、素麺づくりに適していたと思われる。
三輪の手延べ素麺は寒中の農家の副業であり、寒い冬の晴天の日は、農家の庭いっぱい白い糸のように干されている風景を見ることが出来た。農家では夜明けの寒空を眺め、肌にふれる風で気温と湿度を知り、長年のカンによって小麦粉を練る塩水の濃度を加減する。練ったり寝かしたり、寝かせては縄のようにだんだん細くし、最後は「かど干し」にするまで大変な作業の連続である。竿を両足で踏んで手加減で糸のように細く伸ばすのは、相当熟練した技法が必要である。

■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com

正暦寺の 中風封じのかぼちゃ料理

外部資料

奈良市東南部 菩提山川に沿ったところに 正暦寺がある。
正暦寺は正暦三年(992)に関白藤原兼家の子兼俊によって建立された寺である。古くから真言宗の道場として修二会 仏生会 厄除け祈祷など種々の行事が行われている。
寺の行事の一つに、冬至の日に「中風封じ」の祈祷が行われ、カボチャ料理を参拝者に食べさせている。
大和では、古くから、冬至の日にカボチャを食べると中風にかからないと言い伝えがあって、夏に収穫したカボチャを冬至まで大事に保存しておく。
正暦寺のカボチャ料理は約50年ほど前から始められたとのことである。
献立は味噌汁 揚げ物 煮物 酢の物 和え物 漬物にいたるまでカボチャが使われ ご飯にもカボチャが入っている。
冬至の日には千人以上のカボチャ料理が用意されるようである。
荘厳なお寺いただくカボチャ料理は、身についておいしく 中風封じの御利益がらうように感じれれる。



■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742‐43‐8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com