「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

柿の葉寿司 奈良の味

外部資料

夏の終わりころになると、柿の若葉がみずみずしく大きく広がってきて、大和の国中から南の方、御所や五条、吉野地方の農家では柿の葉ずしをつくり始める。夏祭りから柿の葉が赤くなる十月末ごろまで、この地方では晴の日(ふだんと違う改まった日のこと)のごちそうとして夏祭り、盆の「やぶ入り」、秋祭りなどに家ごとにつくられるのである。
最近は柿の葉を塩漬けにしてほぞんされ、一年中、大和の土産物として売られるようになってから形も小型になったが、昔はすし飯を大きく握って塩サバの薄切りをのせ、一枚の葉で包みきれないので二枚で包み、二日ほど圧しておく。夏秋になると、少し紅葉した柿の葉で包んであるのはまだ風流なもので、ひとしおおいしさを感じる。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の中に、吉野の柿の葉ずしについて、次のように紹介されている。
「米一升には酒一合の割で飯を炊く。酒は釜が噴いてきたときに入れる。飯がムレたら完全に冷やした後に、手に塩をつけて固く握る。この際、手に少しでも水気があってはいけない。塩ばかりで握るのが秘訣だ。それから別にアラマキを薄く切り、それを飯の上にのせて、その上から柿の葉の表を内側にして包む。柿の葉も、サケも、予め乾いたふきんで水気を拭き取っておく。それができたら、すし桶でも飯櫃でもいい、中をカラカラに乾かしておいて、隙間のないように鮨を詰め、押蓋を置いて漬物石ぐらい重石をのせる。今夜漬けたら翌日あたりが最も美味で、二~三日は食べられる・・・中略・・・東京の握りずしとは違った格別な味で、私などはこのほうが口にあうので、今年の夏はこればかり食べて暮らした。」
多分昭和の初期に書かれたと思われる。当時、吉野の山林を持っている旧家は金持ちが多く、北海道から入ってくる新巻は高価なものであって、一般の家では塩サバを用いたものである。
交通不便な昔は、熊野灘で捕れたサバは浜で塩をして、歩いて山越えで大和の国中まで運ぶのに三、四日はかかり、ちょうど塩サバの食べごろになっていた。海のない大和では重宝な魚であったに違いない。
柿の葉ずしに渋柿の葉を用いるとよいといわれるのは、柿の渋は防腐剤であり、またタンパク質を凝固する性質があるので、サバの身を締めるのに良いからであろう。
塩サバの締め具合、すしお飯の味付け、圧し加減んなどは、それぞれの家のつくり方が多少の違いがある。


本のある喫茶店 うのん
■住所奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡0742-43-8152
■✉honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com
■https://sites.goole.com

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