「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

七夕に食べる素麺

七月七日は五節供の一つ「七夕さん」である。この夜に、天の川をはさんで牽牛星と織女星が白鳥座辺りに群れをなして飛ぶカササギびよって一年にただ一度逢うというロマンチックな星の伝説は、中国から奈良の都に伝えられたものといわれている。やがて、この伝説が農民の実生活と結びついて、牛を引く彦星は食料を生産し、機を織る織女星は衣料の生産に努める宿命の星として祭られるようになった。
この日、朝早く里芋の葉んぽ露を集めて墨をすり、色どりの紙を短冊に切って願い事を書き、ささの枝に結び付ける風習は、今も幼稚園などで行なわれている。
大和の農家では、天ノ川の見える縁側などに祭壇をつくり、ウリやナス、枝豆と共に冷やして素麺を供える風習がある。関東では冷麦を食べるようであるが、織女星がつぐむ糸に見立ててたのであろう。暑い夏のさわやかな食物である。
素麺は、奈良時代に中国(当時の唐)から伝来した手法で、「延喜式」(平安時代に記された、宮中の儀式作法や食生活について書かれた本)には索麺や索餅(さくへい)などの文字があり、小麦の粉を縄状にして乾かしたもので麦麺ともいい、今も大神神社の神鐉(しんせん)には「むぎなわ」として奉納され、中国の餅は今でも小麦粉の練ったものである。
正倉院文書のも奈良時代、すでに索餅が宮中の儀式の席や宴席に用いられた記録もあり、索麺が素麺の原形らしく、その後、禅寺で中国読みの素麺(スーミェン)と言ったのが、「そうめん」になったようである。
中国の麺が奈良時代、シルクロードにより東方の日本に渡来して、小麦の栽培と初瀬川や巻向川で水車による製粉に適した大和の三輪の里でつくられ、一方、マルコ・ポーロによりシルクロードを西進していたりあでパスタとなり、マカロニやスパゲティとなった。
日本最古の官道「山辺の道」にある三輪山の伝説に「活玉依毘売がある夜訪れた男と恋をして、毎夜毎夜通ってくる男の名も素性も知らぬまま身ごもってしまい、男の衣のすその糸をつけて、その糸をたぐって行くと三輪山に続きそこに蛇の姿を見た。それっきり男は来なくなった。」という。三輪の里で作られた素麺をこの神話になぞらて、「三輪の糸」というようになったとのことである。
素麺は他の地方でも作られているが、元は江戸時代に奈良の西方から「お伊勢参り」をした人たちが大和で素麺を食べ、その製法技術を習ったようである。一般の家で素麺を食べるようになったのは江戸時代からのことである。


本のある喫茶店
■住所630-8053奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡:0742-43-8152
■honcafeunon.nara.nisinokyo@gmail.com
■https:sites.google.com/

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