薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記
「五条のむかし話」から
「井上内親王」
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「それから 何年かしてなー御陵より大鳥がとんできたんやと何のしるしかと思ってな 裕美という人に占ってもらうと『ここが雷神王ゆかりの地だ 神社をたてて おまつりしなさい』と、いわれたとかで、そのとき建てられたのが 牧野の御霊神社なんだよ。文明四年(1473)の建築で うちの先祖の藤原直尹(ちょくいん)が 大担主(中心ということ)となって建てられたのやそうな。」
「こんど 私が行く 牧野小学校のそばにある神社のことなの。」
あな大鳥がとんできてなーこんどは うちの家の椋の木に止まったんやって、それで おおぜいの人がうちに集まってなー神楽を奉して おまつりし 一日を楽しくすごしたんだと。」
私は、庭の片すみにある大樹 何百年もたっていると聞かされている椋の木に 止まった大鳥を想像しながら
「それで。」
「それからな、人々は この椋の木のあるうちのことを 和所と呼ぶようになったんだと、里人が みんな集まって、楽しくなごやかに すごした所、和という字は、なかよくするとか、なごやかという意味を、持っているやろ。和の所という意味で だれいうともなしに 和所と いい出したのやそうな、 それが家号となったということや。」
語り終わった母が、井上内親王さまのことを思ってかいつまでもゆめみるようなまなざしでじっと遠くを見つめておりましたのが おさなかった 私にとって 釜窪 霊案寺という地名の由来と ともに わすれあれない 記おくの一つでござおいます。