「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞の歴史
神社と祈雨
古代のところで述べた雨の神への信仰は中世になってもひき続いてその命脈を保っていた。もっとも「延喜式」の祈雨社の信仰のごときはそのままの形で残っているわけではないが円生川上社へは依然として奉弊の使いがたてられた。その一例をあげると鎌倉期では建暦元年(1211)六月二日 室町期では嘉吉三年(1443)五月九日の例がある。その他 数多いが黒馬を献ずることは少なくなり、文明四年(1472)六月四日には費用のないため奉弊の中止になった例もある。
次に神社での祈雨にどの様な儀式が行われたのであろうか 神仏習合の当時にあって僧徒の神前読経も珍しくなかったが 普通には奉弊 神楽等が行われた、また千度祓い 霊所七瀬の祓い 荒神祓い等神道的儀礼も請雨経法等の仏教儀礼と結びつき その一環として行われた。現今の雨乞にもお百度詣り お千度詣りをきくが室町期の奈良ではこれと似た一万度または三万度等の祈雨法があった。これは春日社と興福寺南円堂の間を一万度または三万農往復参拝することで奈良南北両郷の郷民が行なった。これは雨乞の願掛けをし、願のかなった時のお礼の行事として行われたようである。

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