「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「稗田(ひえだ)の里」

大和郡山市の稗田の里は、堀にかこまれた古い村で、日本の一番古い古事記という本の物語りを話し伝えられた、稗田の阿礼(あれ)さんのおられた里だというので、この村の氏神、売大神社(うたじんじゃ)では四十五ほど前から、毎年八月十六日に阿礼まつりが行われ、童話の先生たちがたくさん参拝されて有名です。
その阿礼さんよりまだむかしに、聖徳太子さまがこの稗田の里へお越しになりました時に、村人が稗のご飯をさし上げたということです。
聖徳太子は
「どうしてこんなものを食べているのか」
とお問いになりました。村の人は、
「この土地は水の便が悪くて、米が十分とれませんので、稗を常食としています。」
と答えました。太子は
「それはかわいそうだ。水の便をはかってやろう」
とおっしゃて、その付近を馬にのっておまわりになり、稗田の東方、今の奈良市池田町に大きな池を彫らされました。これが今の広大寺池で、今もこの池のかぎ元は稗田の里で、この池の水の最大の権利をもっています。稗田の人はこの池の水を出すたびに、聖徳太子のお徳をしたって、法隆寺へお礼まいりをすることになっています。
この稗田の村から少し西方に離れて、数軒の家があります。同じ稗田町ですが、ここを太師垣内(たいしかいと)といいます。六百年あまり前の亀山天皇の弘長年間に洪水があって佐保川があふれ、その付近一帯が砂原になりました。
その砂原の中から、めずらしい弘法大師の像を刻んだ石の仏さんが出ました。村人は興福寺にたのんで、春日山の木材をもらって太子堂をたてました。
ここむかし、大峰山への参詣道となっていましたので、おいおい人が住むようになり、いまの大師垣内というものができました。

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