「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「お大師さまと犬飼のお寺」
そんな、思いがけないできごとがあってか、お大師さまは、道を見うしなった。
「こんなところで、とどまっては、高野山につくのが、おそくなるばかりだ。」
つぶやいたとき、すぐまえに、狩人姿の大男が、たちふさがった。三メートルばかりもあろう、ヒスイいろの衣をきて、白と黒のいかにもたくましそうな犬を、二ひきつれていた。
左の手には、大きな弓をもち、矢羽をせおい、ひげだらけの顔のおくで、ぎょっと、黒い目が光った。
「あなたは、お大師さまではありませんか。」
狩人は、犬をひきよせ、いきなりひざまづいた。
「そうおっしゃる あなたは。」
きゅうに、ススキ原で声をかけられたお大師さまは、とまどったふうだった。」
「名まえを、もうすほどのものでは、ございません。わたくしは、犬飼、ひとびとのしあわせをまもる狩場明神ともうす。」
「こんなところで、名まえをよばれようなんて、ふしぎな、めぐりあいだ。」
「いy、あなたが、高野山にむかわれたことは、ぞんじていました。お見かけしたところ、ふつうのおかたでないことは、すぐわかりました。
「おおせのとおり、高野山をたずねるとちゅうだ。うっかり、ふみはずしてしまって・・・・・ここは、どこじゃ。」
「川さきともうす。」
「7なるほど、名まえのとおり、川の瀬音が、すぐそこに聞える。あなたは、高野山の野道を ごぞんじだろうな。」
「はい、しるも、しらぬもありません。わたしは、高野山の地主、お大師さまが、真言密教の道場をおひらきになることを、おまえちもうしておりました。高野山への道はけわしく、ひとりたびはきけんです。この、白と黒の犬を、お大師さまのおともにさしあげます。狩場明神は、そういうなり、ススキ原に姿をけした。
しばらくして、吉野川のあさ瀬をわたるお大師さまの姿が、秋の光にまぶしくかかやき、犬のとおぼえが、山なみにきえた。
その後お大師さまに、高野山をおひらきになり、この地をなんどかおとおりになった。
狩場明神とのめぐりあいをよろこび、転法輪寺をたてた。そのとき、犬の足あとを、霊石としてお祭りした社がある。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「お大師さまと犬飼のお寺」 ②
金剛、かつえあぎの山々は、はいいろにけぶり、つめたい冬空にそびえていた。その山すそを、息もつかずにあるきつづけた。やがて、はるかに吉野川が白く光って見えはじめると、お大師さまは、足をとめた。
「あの、山のむこうが、高野山だ。」
たびのつかれもわすれ、こぼれるようなほほえみをうかべた。しかし、けわしい山のたびは、けっしてらくなものではなかった。ふかい谷間をわたり、けもの道をたどり、野いばらのしげみを、さけてとおった。
ようやく、いまでいえば、五條市のはずれ、大和二見あたりにたどりついたとき、
お大師さまは、ほっとした気持になり、かれたススキのかぶに腰をおろした。ふきでるひたいのあせを、ぬぐおうとすると、どこからともなく、カラスのなき声が、聞こえはじめた。
ーどうしたことじゃ。ー
あたりは、きゅうにうすぐらくなり、氷雨が、すげがさを、たたきはじめた。つめたいしずくが錫杖をにぎった手をうつ、
「ふよういなこと、雲のながれを見ないで、腰をおろすなんて。」
お大師さまは、心のゆるみをはずかしく思った。つぶやいたとたんに、ふりしきっていた氷雨は、うそのようにやんだ。
「気まぐれの雨じゃ。」
そういいながら、そっと空をあおいだお大師さまは、思わず手をあわせた。
かぞえきれないほどの、カラスのむれである。そのカラスがつばさをいっぱいひろげ、つばさとつばさをかさねあわせて、お大師さまに雨がかからないようにしているのだ。
「きっと、大日如来さまが、たびのあんぜんをまもっての、おつかいにちがいない。」
しずかに目をあけると、氷雨はやみ、わめきたてたカラスのむれはどこにも見えなかった。(いうまでもなく、そのあたりを、カラスは森という。)

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
お大師さまと犬飼のお寺 ①
いまから、千二百年ほどむかし、京のまちから、南へいそぐたびびとがおった。
きんらんの法衣にみをかため、小さなにもつを、せおっていた。四十才をこえたばかりのおぼうさんのようだが、足どりはかるくとてもそうとは、思えなかった。まるい、おおきなすげがさがの下から見える。黒い目のかがやきは、なにを光っていた。秋もおわろうとするのか、錫杖の音がひびくたびに、かれた木の葉がおちた。
いうまでもなく 弘法大師さまであった。
「空海よ、日本へかえったら、真言の教をひろめ、人びとをしあわせにするのだ。」
唐の都、長安で、恵果大和尚にきかされたことばを、なんども思いかえしていた。日本へかえってからというものは、夜を日についで真言密教を、となえつづた。ところが、この教をきわめるためには、どうしても修行の道場(ばしょ)が、ほしかった。
「大師よ、のぞみを大きくもつがよい。あなたが、唐からなげた三鈷がおちたところが、修行のばしょだ。それは、紀伊の山なみをふみわけた、高野山だ。」
お大師さまは、仏のおつげを胸にだいて大和路を、南へ南へと、いそいだ。三鈷というのは、仏教をきわめるために、かくしもっているおまもりのことだ。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「今弁慶」 2
さて今弁慶。
ある時のこと。牛車に米俵を十何俵もつんで、下淵の下流「坐頭が淵」という細い道を通っていました。下が切り立った崖の下をうずまく吉野川。上はかぶさるように木が茂る険しい山。なんぎしながら牛をすすめていると、ちょうどそこへ、殿様の行列が通りかかりました。
「さて困った。悪いところで出会ったものだ。」
考えてみましたが、ひき返すわけにはいきません。かといってまっすぐ進めば、殿様とぶつかってしまいます。
「ええい。しゃあない。牛よ、ちいとしんぼうせいよ。」
話しかけながら、そっと左手で牛の腹帯をとり、右手に車の心がねをにぎって、牛と車とを淵の上にひょっとさしだしたのです。
「こころえておくれやっしゃ。早うお通り。」
殿様の一行があたふたと通りぬけたのは、もっともなことでした。
こんな大男を怒らしては、何をしてかすかしれたものではありませんでしたから。
その後、吉野川に大水がありました。泥水がうずくまいて流れ下ってきます。根っこだの流木がおしあいへしあい、すっとんでいきます。川の中ほどは、まるでとがった岩を並べたように波立ち、広い川原もふっくら丸く、満々と水が湧き立ちました。
「今弁慶はんや、こんな時に力だめしをしてみるのもおもしろいやおまへんか。」
いたずら半分、そんなことをけしかけた商人がおりました。
「川の中で、どれだけ持ちこたえられましゃろ。」
左右の手に、がんじょうな戸板を持つと、ゴウゴウと走り下る川の中に、ずかずかと入っていって、
「うーん。」
水をせきとめたのです。濁流は押す。今弁慶は押し返す。いうまでもありません。とっくに戸板はけしとんでいました。それでも、胸までどっぷりとつかりながら、
「わあーやあー。」
どなっていた今弁慶の声は、あとは果てもなくさかまく泥水ばかりであったといいます。

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「五條のむかし話」から
「今弁慶」
むかし、五條の東浄に今弁慶とよばれる力もちが住んでいました。弁慶の生まれかわりだといううわさされるだけあって、からだは、はがねのよう。背は
あくまで高く、胸にははえた毛は、まるで針のようであったといいます。
その今弁慶が、ある時、東浄の寺
「のつりがね堂で昼寝をしていました。といっても、
「わしが昼寝のさいちゅうに、小坊主めに、つりがねをつかれるとうるさくてかなわぬ。」
重いつりがねをひょいとじべたにおろしての昼寝です。春の日はのんのん、風はさやさや。折しも本堂では、お坊さまのあげるお経を子守歌に、今弁慶はぐうぐう高いびき。
と、出し抜けに寺の外で、ズドーンと鉄砲の音がしました。せっかくの昼寝のじゃまをされた今弁慶、
「あんだらめ、町の中で鉄砲をうつとは、どこのどいつじゃ。」
かんかんに腹を立ててふと見ると、塀の上から鉄砲の先がにゅうっとのぞいています。こいつだな、と思い、むずと銃口をつかんで奪い取ろうとしました。塀の外の鉄砲をにぎっている男も、力もちとみえてなかなかはなしません。えいえいとひっぱっているうちに、とうとう鉄砲は、ぐんにゃりとまがってしまいました。
「ありゃあ えらいこっちゃがな。外におるのはいったい誰や。」
のぞいてみると、これも力もちで知られた、御山村の野原助兵衛です。
「なんじゃ、おぬしか。」
「そういうおまえは今弁慶。」
二人は、顔を見合わせて、からからと笑いました。
「今弁慶が相手なら むりをするのやなかったわい。鉄砲一丁そんしたんか。」
助兵衛は、曲がった銃身を元どうりにして、行ってしまいました。ついでにいえば、この野原助兵衛、秀頼と家康が戦った大坂夏の陣に百二十キロもの鉄棒をふりまわして戦っていましたが、流れ玉にあたって討ち死にしたということです。