「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「にえもつの里」
これは、古事記や、日本書記という、日本の国の、もっとも古い本に書かれている、遠いむかしの、いいつたえであります。
大和の国(いまの奈良県)に、神武天皇という、たいそう、ちえとゆきのある天皇がおられました。この天皇が、大和の国を中心とした、日本の国づくりを思いつかれ、けらいたちをひきつれ、あちこちの、わる者せいでばつに出ておられた時のことです。けわしい熊野の山の中で道にまよわれ、進むに進めず、ひくにひけず、困りはてておられました。しかし、どこからともなくとんできた、八咫烏のあんないで、うまくその場をきりぬけることができ、一行はやがて、阿太の里に入ってこられました。
その頃の阿太の里には、もうすでに、安太人(あだひと)が住んでおり、吉野川で魚をとったり、近くの山で狩りをしたりして、のぞかに暮しておりました。
神武天皇たちが、吉野川にそって、この阿太の里を通りかかった時のことでした。美しい流れの中に、筌(やな)をしかけ、一心に魚をとっている一人の男がおりました。あたりは、大小さまざまの岩がむき出しになっており、その間を、玉のような水しぶきがとび散っております。ザア、ザアという川の音は、たえまなく鳴りひびいておりました。その音のためでしょうか。男は、天皇の一行が近づいてきたのも気がつかないで、いっしょうけんめい魚をとっておりました。
しばらくそのようすを見ておられた天皇は、(あれは、いったい何者だろう)とふしぎに思われ、けらいにいいつけて、男をそばにおよびになりました。そして
「わたしは、天津神の御子であるが、お前はどういう者か。名は、何というのか。」
と、おききになりました。すると、その男は、
「わたしは、国津神・贄物(にえもつ)の子でございます。いつも、この川で、魚を「とるのを仕事にしております。」
と、申しあげました。それから、筌でとれた魚をさしあげたところ、天皇は、たいそうおよろこびになったということです。


〇古事記・日本書記には、国づくりをめざす天皇を、贅物の子は、たすけ、たべものをさしあげたとも書かれています。
吉野川が、阿太の地に流れてくるあたりに、皇座位というところがあり、川の中に、大小の岩が出ています。ここが、阿陀(あだ)の鵜養(うかい)の祖先である贅物の子が、天皇に魚をさしあげたところといわれ、皇座位という地名が残ったのだともいわれています。
また、このことから、ちかごろ、この阿太の里を、「にえもつの里」とよびばおそうという声もおこっています。

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