「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「五條のむかし話」から
「つえざくら」
 むかしむかし、奈良に都があったころ(今から千二百年あまりまえ)薬師寺というお寺で、行基ぼさつとよばれるおぼうさんが、いっ心に修行をつづけていました。
行基ぼさつは、弁天様をあつく信仰し、人びとから生き仏様とあがめられていました。
あるとき、日本じゅうに悪い病気がはやったり、田畑のの作物のみのりが悪かったりして、人びとはとっても苦しんでいました。
行基は、たいそう心をいため、病気で苦しんでいる人や食べものがなくて困っている人たちを助けるために、ほうぼうをたずね歩きました。そして、たくさんのお寺を建てたり、ため池をつくって作物のみのりをよくしたり、人びとのしあわせを願っていっ心にはたらきました。
このとき、行基は五條にもこられて野原町にりっぱなお寺を建て弁天様をおまつりしました。
行基がおなくなりになってまもなく、空海というおぼうさんが、仏様のおしえをひろめるために、国ぐにをめぐっていたのですが、その途中、吉野山に立ちよられ、これから長旅のために桜の木でつえをおつくりになりました。
空海は、後に弘法大師とよばれるりっぱなおぼうさんになられました。
大師は、この吉野山の近くに行基ぼさつのお建てになったお寺があることを思い出され、桜の木のつえをついて五條の地をおたずねになりました。
そのころの五條は、まだ、けわしい山が多く、やっとの思いでたどりつかれた大師はホッとしてお寺の門をくぐり、手にもっていたつえを地面につきさしておやすみになりました。
大師は、お寺の本殿の前でごまをたきその灰で小さな弁天サア間をおつくりになり、手あつくおまつりしました。
旅のつかれをいやして元気になられた大師は、つえのことなどすかっりおわすれになって、お寺を出ていかれました。
その後、このつえに根がはえてみごとな花をさかせたということです。
今では、その場所に大きなおじぞうさまをおまつりしてむかしのつたえをんぽこしています。

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