「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記


東坊城のほうらんや祭り 8月15日

外部資料
東坊城の八幡神社と弓場の春日神社の氏子の垣内は八幡神社が七つ、春日神社が四つあるが、それぞれの垣内で自分の氏神の方へ大きなたいまつを作って、みんなで荷たってゆき、ここで火をつけて燃えさかるたいまつを、たくさんの氏子で
かつぎ回るという火の祭りである。
八月十五日の朝、垣内々々に集まって、ほうらんやのたいまつを作るのであるが、その作り方は芯に菜種木をいれてそれを小麦わらで巻き、直径1mから1m半ぐらい、長さも1m半から2mくらいなもの。それを二つ割りにした竹を編んだもので鮓を巻くように巻き、縄で三か所を巻くのである。
春日神社では、午後一時ごろから、大四個、小二個、社前に集まって来る。祭典のあとでこれをかついで社前を一回りし、次にこれに火をつけて二回まわるのだが、それは他の村での秋祭りの太鼓台をかつぎまわるのと同じやり方である。燃え盛る大たいまつをかつぎ回るのだからこれはまた大へんなことで、村中の人々が境内に見物に来ていて壮観なことである。こうしてたいまつが回ると、たいまつは社前に並べて燃やす。これが終わると、みんな手打ちちをして別れるのである。
八幡神社の方はそのあとの午後三時から、大たいまつが七個 小たいまつが一個あげられる。燃やして回ることは春日神社と同じようなことである。このたいまつをかつぎ回る時に「ほうらんやヨッシャ、ヨッシャ」と呼ぶので、この祭りをほうらんやというようになったといわれている。
この祭りの起源ははっきりしないが、八幡神社の境内に大日堂があって、護摩をたいたが、その変形であるともいう。また一説には、この神社の地に大北部落の上の車屋という油屋の墓地があったので、それを忌部山へ移した。それでその地を清める。聖霊を慰めるために盆の十四日には上の車屋の分家の下の車屋から宵たいまつを一つあげた。これが起こりとなって今のようなことになったのだという。
八月十四日には帯解の広大寺池畔で池田町の大たいまつがおこなわれるが、これも盆の大たいまつ一種と考えてよい。神社で行われるからふしぎに思われるが、明治維新までは神も仏もいっしょになって行事をしたのであやしむに足りない。ここのは各垣内からたいまつを持ち合ったのでお互いに競って大きくなったわけである。

■住所 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■℡ 0742-43-8152

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二月堂の 「おくよ」

外部資料

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二月堂 といえば お水取りを思いうかべますが 他にも行事はあります。
特に8月9日を「おくよ」と呼び、この日参拝すると、四万六千回参拝したと同様の功徳が得られるといわれているので、この日の参詣は多い。
「おくよ」の起源についてもつまびらかやでないが、観音経の付録にこうした功徳の日が書かれているので、そこからきたのではないかということである。この日は参詣すれば多くの功徳に浴することができるということから「おくよ」という言葉が生まれたのではないだろうか
当日は早朝から参詣される方が多く、福引が行われる。奈良市内はもちろん 山城 河内からの参詣も多く、これらの人々のために宿坊が設けられているほどであった。昭和30年代頃までは二月堂の広場に櫓を組み、その夜はおそくまで盆踊りがおこなわれた。現在は交通機関の便利さで泊まることもなくなり 盆踊りは中止されている。


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東大寺 大仏 お身拭い
今年はコロナの影響で3年ぶりの お身拭い
8月7日7時から9時半頃に行われる。

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江戸時代では、十二月十三日を「ことをはあじめの日」と呼び新年を迎える諸準備をはじめる日と決められたようで、「続江戸砂子温故名跡志」に「十二月十三日、御煤払 屋敷方、町屋ともに多く、すすをはくなり、すす竹や、荒神の絵馬などを売る。」とある。地方の各地でも、十二月十三日を新年を迎える諸準備をはじめる日ときめ、掃除用具である「チリ拂いや、竹箒などをつくり、正月の餅つきは「ウの日」と「く」の日をさけ、三十日は山にはいって̚門松やあ正月用の植物などを取りそろえ、シメ縄や節分料理をも整えて除夜の鐘を聞いて、新しい正月を迎える習わしとなっている。
古都奈良の諸大寺でも「お身拭い」と称し、薬師寺は十二月二十九日に、唐招提寺では十二月十五日から、東大寺では八月七日に、御本尊につもった「ほこり」を拭い拂う行事がおこなわれる。これは「お身拭い」と呼ばれている。
薬師寺は当日、午前中に仏様にお供えする餅つきがおこなわれるが、その時、使用の御湯をもって午後、一山の僧侶が、魂をぬきの法要をおこなった後、身を浄め、白衣に身を整え白布で口元をおおい、金堂の薬師三尊、東南院の聖観音菩薩と順次お身拭いがおこなわれる。終了後、再び入魂の法要がおこなわれて「お身拭い」の儀はおわる。
唐招提寺」では十二月十五日 金堂の諸仏の「ちり拂い」からはじまり、講堂及び宝庫の諸仏のお身ぬぐいの行事が、一山の僧侶でおこなわれ、入魂の儀があって諸尊は美しいお姿となられ正月を迎えられる。
東大寺では年末ではなく八月七日で一年を通してこの日が、「お身拭い」にふさわしい日であるとのことから決められた。
東大寺の大仏さまは世界一の金銅仏で高さも16メートル余 重さも260トンといわれている巨大な鄭仏でお身拭いとするのも大変で毎年多くの方々によって午前7時から3時間ばかりをかけておこなわれる。
まず一山の僧侶が本尊の魂をぬく行事を厳かに行った後、二月堂下にある湯殿で身を浄め、白衣と白布に身をつつみ、口を白衣でおおった方々が所定のところにつき、午前7時から一斉に あの偉大な尊僧全体にわたり掃除がおこなわれる。

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高原の法悦祭 8月7日から16日

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川上村の土地柄は、さきに後南朝自天王をまつる「お朝拝式」で紹介したごとく、格式の高い古風な行事であるが、ことに高原区では品格の高い数々の行事がとり行われていることは注目すべきである。
この区独自の朝拝式と御南朝忠義王をまつる行事としては毎年2月福源寺での初祈祷が十二人衆で執行、旧暦7月16日 17日蔵王儀式と役行者をまつるこの地特有の年中行事がある。ここに述べる「法悦祭」はうら盆行事の一つでもあるが、他の地のそれとは意味内容を異にしているものである。
大字高原は川上村のほぼ中央部、大峰山脈を西に負い、吉野川の清流っを見下ろした、名の通り高原の仙境である。法悦祭は氏神神社とその隣りの安楽寺を中心として行われる行事。
この祭りについては二つの由緒が伝えられている。一は、推喬親王の上覧に供したことに始まるという説。親王は五十五代文徳天皇第一の皇子で、歌人 詩人として知られており、天皇は皇嗣に予定されたが、摂政藤原良房をはばかって果たされなかった。そこで親王は薙髪されて叡山のふもと、小野の里に籠居、小野宮とも称されたが、貞観年中(およそ千百年前)この高原に潜居せられた土地の人々は岡室御所と尊称した。
二は、六十二代村上天皇の天徳年間(およそ千年前)悪病が流行したので、里人が交代で垢離とりで身を清め、氏神社殿と安楽寺を清浄し、病魔退治の祈祷を修したはじまるという伝えである。おそらくこの二つを合わせて行われてきたものである。
行事は簡素化されてきている。
古式になぞなえると、参加の主体は19才からあ25才までの青年男子 再建された安楽寺本堂に集合するが 遅刻すると除名 区民権もなくなるという 厳しさである。


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