「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

奈良
奈良の地名については、種々の説がある。「日本書記」に「崇神天皇の御代に武埴彦王がその妻、吾田媛と不軌をはかり、山背(城)から大和にはいろうとしたので、天皇は大彦命と彦国葺命をして、これを討たしめた。その時、官軍の精兵が「那羅山」に屯集し、草木を踏み慣したので、この山を「那羅山」と呼ぶようになった。」
とある。そのほか、仁徳天皇紀に、「卅七年十一月甲戌朔乙酉、皇后を那羅山に葬しまつる。」とあり、また、武烈天皇紀に「平群の鮪臣(しひおみ)」とある。
「なら」を表わす漢字にも、奈良、樽 平 那羅 乃楽 寧楽 名良 などといろいろあるが、奈良山 佐保 左紀山 は山というより丘陵といった方がふさわしいなだらかな山で、元明天皇が都を莫められた平城の地もなだらかなところで、平の字をもって「なら」を表現されちぇいるところからすると「なら」の地名はこうした自然の地形から生まれたものと推考される。

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