「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和伝説」から
「奥田蓮池の一つ眼蛙」

役の行者(えんのぎょうじゃ)のお母さんは刀良売(とちめ)といって、高田市奥田の蓮池の堤で病を養っておられました。
夏のある朝、お母さんの刀良売るが池の中にまつってある捨篠神社(すてしのじんじゃ)へおまいりになりますと、遠くで蛙のなく声が聞こえ、光かがやいて池の蓮の茎が伸び、二つの白蓮が咲きました。そして、そこには金色の蛙が歌っていました。
そこで刀良売は、何げなく萱を一本ぬきとって蛙に投げますと、それが蛙の眼に当たり、蛙は片眼を射ぬかれて水中深くもぐりこみました。その俊寛、池面をいろどった五色の露も、一茎二華の白蓮も消えて、蛙はみにくい褐色に変わり、一つ眼になって浮かびあがってきました。
刀良売は悪いことをしたと、自責にたえず、ついに病気が重くなり、とうとう四十二歳でなくなりました。
母を失った役の行者は、発心して修験道(しゅげんどう)を開き、吉野の東山に入って、吉野山蔵王権現(よしのやまざおうごんげん)を崇め、蛙の迫善供養を行ない、母の菩提を弔いました。
毎年七月七日には、吉野の山伏が奥田にきて、ここの行者堂と、刀良売塚に香や花を献じ、蓮池の蓮百八十本を切りとって吉野へお帰りになり、吉野の蔵王堂から大峰山までの沿道にまつってある祠堂にこの蓮を献じ、蛙の供養をされるということです。
この日は、蔵王堂内で行なわれる蛙飛びの行事は、この蓮の華を献じる蓮華会(れんげえ)という行事の中の、一つの宗教劇のようなものです。

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