「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

大和の雨乞いの歴史
昇温期
二万年前を過ぎた頃から、北半球の気温は少しずつ上がり始めた。大陸氷床や山岳氷河は徐々に融け始め海面がゆっくり上がってきた。この後三回ほど、ほぼ三千年くらいの間隔で気温の低下、海面の下降があったようであるが、いずれも数百年間ずつの一時的なもので全体的としては気温は上昇を続け海面もまた上がり続けた。
この結果 最初にまず津軽海峡が切れ(一万八千年前頃)すぐ続いて朝鮮海峡(対馬西水道)が切れ、次に対馬海峡(対馬東水道)が切れ(一万六千年前頃) これで黒潮の分流は対馬海流となって日本海に流れ込み、地球自転の転向力で右にそれ、本州の日本海岸沿いに北上することになった。このため、山陰 北陸の気温はおおいに温和化されたが、その代り日本海の水温差は急に大きくなり冬の北陸では大雪が始まった。やがて一万三千年前を過ぎた頃、黄海・東シナ海大平原が南東部から北西に向かって徐々に水没し始め 海面が開き黄河と揚子江が後退し朝鮮が南の方から半島化してきた。次いで瀬戸内が海没し、はるか南では台湾海峡が切れて島となった。(一万二千年前頃)さらに一万年前頃になると、宗谷海峡が切れて北海道が島となり、結局いまからおよそ一万年前になると、この国土はほぼ今日の姿になり平均気温はまだ現在より二度ぐらい低かったが四季の気象の移り変わりもまたほぼ今日と同様になった。ただし、関門海峡が切れて瀬戸内の潮流が今日の姿になり間宮海峡が切れてリマン海流が南下し、日本海の水温分布がさらに今日の状態に近づくのはもう少し後で、八千年ぐらいとみればよいであろう。およそ七万年前から続いたウエルム氷期はこれで終わり、後氷期(おそらく間氷期)の時代に入る。この国土はすでにして日本であり、この国土の人々はもう日本人である。かつて大陸から渡ってきた人々はその大陸から切り離され自分みずからの歴史を歩み始める。縄文時代が始まったのである。

×

非ログインユーザーとして返信する