「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「紀州の龍神民話」
きつねの話
きつねの話はいろいろあるで、もうまあ、生れて七〇十数年、記憶も薄れて忘れ勝ちやけど、質問されると、え、え(頭)へ沁みとるさか、ジーと浮いてくら。
狐の魂が人間にのりうつって、しゃべるとかいう様なことも現実にあったんや。その人の名前出いてもかまな、その人あとうに土になっとんやからかまんねけどね。
狐はだますんやないで、だまされて魚とられるんやないで。
狐に魚とられるいうのは、再三、再四、あったな。宮代からこの橋川越す道も、滝頭から小川〇〇さんの下まで四っ程あんのじゃ。どこの 道でもやられる。どこいっても「わしゃ夕べ宮代で魚買うて、負うて来るよったら、かー昔渋した合羽あっつろよ?あれょ着てかーシトシト濡れもて行きよったと思たら、もう背中へ負うとった箱へさして入れとった魚ぬかれて無かった」て
天候の不安な日には、一米四方位の合羽、たとんで腰いつけっとた訳じゃ。傘ちゅな一々よう買わんさかな。大正時代にゃ不塩ちゅょなもな無かった。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「紀州の龍神民話」
集団で狐にだまされた話
これは、大正年間になってからの話じゃけどね。みんなで芝居を見た。小園の前の畑だったんじゃろなあ。そいで、みなおらんさかちゅうて、方々訪ねにいて、背中たたくまで知らなんだちゅわな。庚申さんを祠っての時やった。わしらのとこの親父らもその芝居見たんじゃ。全部で何人位かな。何の芝居見たかはそういうことは覚えて無かろうけど。当時の芝居って言うたかて、知っとんのは、まあ、淡路から来たデコ芝居位なもんじゃった。それを皆でみたわけじゃ。まあ、見たてゆうより狐にだまされたと言うかきょう日で言うたら、なあ、精神的にもうそういう風になってしもうたちゅことじゃろかい。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「紀州の龍神民話」
狐にだまされた話
今こそ道が、ずっと一筋に車通るようになってますが、昔はここまで来るのに二里ほどあるんですかなあ。その半分はほとんど坂道、下ったり上がったりね。それは小学校を卒業してからやったけどね。湯ノ又に鍛冶屋さんがあって、道具たのまれたのであって、ほいて、こっちから上がって行って、花折りっていうとこで、ずっとだまされたわ。向こう、トボ、トボと火あたるんよ。おかしいな。今ごろな、あがいなところ人行っとるはずじゃが不思議やな、思ってね。ずっとながめておったらね。目ヘッパぬられたんやと思たからね。まてまて、そんな時はな、きまって足もとについとんのじゃっていうさかい座りこめと思てね、ほいて、どっか座りこんで、おのれくそたれ古狐やつ、だますんならだましてみ、わしゃなんじゃぞ、不動さんの守り持ってるから縛ってしもちゅろぞっていう座りこんだ。そしたら、それでも、ずっと、だいぶ向こうへ行くまで火与えてくれたな。とうぞうしまいがた、もう自分の家のほんまぁ近まで行ったときに、狼かいなとおもたんやけど二間ぐらい間置いてヒョイ、ヒョイ、ヒョイと行ったわよ。狼ってそんなに簡単に姿見するかいなとおもったけど、ほんまぁ近の出合のとこまで行ってフワッとどこへ行ったやらわからんよになったな。狼じゃったんか、古狐じゃったんか知らんのやけどね、こうちょっと長いよな尾を振ってな、向こうへ行くのようわからんね。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「紀州の龍神民話」
ローソクを売る狐
22年(明治)の水害までにゃ、このあたりは、こがな道(舗装道路)もなくカミソとか茶とかのはたやったんや。そこを、その、なんや、夜に畠へ来るまで、どがいにしとっても提灯を明かしたる蝋燭をキツネに取られたな。もう、よう心得とる者は、提灯をずっと上に上げるか、土にひきずる様にして来るかしたら取られへん。ちゅうに半に持っとったら取られる。でも、いつでも取れるから、淋しもなにもなかった。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「紀州の龍神民話」
地名
瀬戸の滝
向いの谷に、瀬戸の滝という大きな滝があるんです。その滝壺に大きな洞穴がある。ものすごいもんですけども。、
そこで山の仕事しとるもんカシキがメッパ(ごはん入れる物)を流してしもて、それが大きな洞穴へすいこまれた。ところがそのメッパがここの東の上のハザという在所の吹井戸がある。そこへひょっこり浮かんできた。瀬戸の滝から上のハザの吹井戸まで通じているいう話もあります。