「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

尼辻町
近鉄橿原線西の京駅から一つ北側の駅が尼ヶ辻駅
尼辻町の町名の由来については 唐招提寺を建てた鑑真和上に関係する。
鑑真和上が唐招提寺を建立するために、中国の伝統 甘味の土地が聖地 都の考えに基づいて 各地に求めたところ この土地が甘味があったので、ここに東証を建立することになった。尼辻は甘壌から来た町名である。 今の都跡小学校は 甘壌小学校と呼んでいた。甘壌がいつのころからか 尼辻 となったかは詳ではない。
一説には 平安時代に興福院町に興福院と称する尼寺があったところから町名となったとの伝承もある。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

西の京
勝間田池
いくどもブログに上げています。天平人と同じ景観が望める場です。
この地域は 七条です。 そしてこの池は また七条大池 とも言われています。
この地域には土師として 瓦職人の方々が多く住んでいて 法隆寺 京都の東寺金堂の鬼瓦なども作られていました。



新田部新王による歌一首 万葉集にあります。
勝間田の池はわれ知る蓮無し然言う君が髭無き如し 
新田部新王の愛する人と共に 勝間田池畔を散歩しているときに 送った歌といわれている。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

西の京
昨日のブログで 離宮跡をすこしかきました
。この地を西の京と云われる始めは 「続日本紀」によると 延暦」3年(784)9月5日
「京中大雨、懐百姓廬舎、詔遣使東西京振給之」とある。平城京の右京を西京と称されている。また天平感宝元年(749)閏5月23日に「天皇遷御薬師寺宮、為御在所」とみえる薬師寺から西京の名が起こったともいわれる。
今の滋賀県 石山寺蔵の阿毘達倶舎論の奥書くに「西京薬師寺僧仙釈」とある。
一般的には 西の京 西ノ京 の名が用いられている。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

西の京
薬師寺から北西 西の京駅から徒歩10分以内
平城京の宮人達の離宮 ここから 勝間田池畔でのそぞろ歩きを楽しんだことが 万葉集にあります。

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

西の京
うのん は西の京 薬師寺から徒歩5分南西にあります。
西の京は 唐招提寺 薬師寺と有名なお寺が徒歩10分以内にありますが 他にも歴史的に大切なモノがあります。
大和は日本の古代を知全て全てにも思われる所です。

少々古いほんですが 奈良の紀行が読み取れます。
今読むと 古い内容ですが 奈良の発達がよくわかります。
「西の京」という 地名は 都が京都に遷った後も 奈良時代に建立 あるいは移設された西大寺 唐招提寺 薬師寺 喜光寺はそのまま右京の地に残り 今なお昔日の面影を残している。そのことが 西の京 と呼ぶとも伝えられている。
また 孝謙天皇がご出家の後 此処に・・・故に西の京と云う とある。
さらに 大和地名辞典では 784年に平城京の右京を 西京 と称し
また 749年には薬師寺に天皇が来られ  西京のなまえが起こったとも云われている 
その薬師寺か西へ500㍍のところには 宮人の住んでいた。