「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳時記No.246

流れ
明治22年8月18日」17日の台風の紀伊半島の図で和歌山県で甚大な被害のあった富田川筋と日置川筋の北東延長線上に十津川筋がある。

これ等二つの川の延長線上にある十津川筋西側は金剛山山地が続く1,000㍍を越す山並みが連なり一方東側は近畿地方の最高峯八剣山を推する大峰山が立ちふさがり黒い風に乗った暗黒の重い雨雲は再び和歌山県災害史に登場願うと「四十尺なる釈迦嶽に渡られ直行突進する能わず。雲将にその神鞭鬼娶の意の如くならざるを怒り横転狂憤潟して」云々と記され南海上より進入してきた。黒雲は大粒で重く高く富田川と日置川を包む山脈の間を奈良県十津川前へと「収束」したのであろう。2000㍍に近い山に遮られ囲まれたいきおところなくした重い雨全部を吐き出したのでしょう。
 地質岩層の数も軟弱な当地方は浸食腐爛していた大地を洗い流し 崩壊地1107カ所 土石流と流木は多く俄ダムを造り新湖の数は53カ所 十津川破壊地帯のもろさを露呈しました。
記録によると十津川郷は文化12年(1815年)嘉永5年(1852年)に大水害があった。明治22年は37年目毎の3度目の被害であった。以後十津川流れの様な悲惨な災害は起こってない。昭和57年天辻峠から北側大和平野で大水害が起きた。

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