「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「子供のための大和の伝説」から
「帯解の子安地蔵」


楢からJRに乗って南に行くと、次が京終駅、その次を帯解駅といいます。
帯とけは変な名だなあ、と他国の人はふしぎに思われますが、そこは奈良市東今市で帯解寺という有名な寺があるので、その名をとったのです。
帯解寺の本尊は子安地蔵とよばれるりっぱな地蔵さんで、毎年七月二十三、四日には地蔵祭りでにぎわいます。
むかし、文徳天皇の皇后さまを、染殿皇后と申しました。皇后がおなかが大きくなられたのに、月が満ちてお子さまがお生まれにならないので、宮中では、大へん心配しておられました。
ところが、ある夜、皇后さまのお夢に、
「奈良から南へ一里(四キロ)ほど行ったところにお寺がある。その寺の地蔵さんのからだに帯を巻きつけ、それを皇后さまのおからだに結んで、さらに、それを解いたならば、
ご安産になる。」
ということを見られました。
翌日、皇后さまがそのことを文徳天皇にお話しになりました。
それはほんとうかも知れぬといって、臣下を使わされますと、はたして地蔵さまがおられました。
夢のとおりにして帯をたわって帰って、それを染殿皇后に献上いたしました。
皇后がそれをお腹帯になされ、」それからまた解かれると、間もなく皇子が安らかにお生まれになりました。天皇も皇后も大へん喜ばれ、子安地蔵という名をたまわったのが、今の帯解寺の本尊であります。
この皇子は九歳で即位された清和天皇で、染殿皇后は藤原良房の娘明子でこのころ藤原氏がだんだん盛んになってきた時代です。

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