薬師寺近くの うのん から大和の気象歳時記
若草山の山焼 今年の山焼きは 今日です。 西の京の大池のには昨日から 場所取りに多くの人が お天気にも恵まれ 良い写真が撮れますように 5年前の写真です 奈良の冬の風物詩
薬師寺近くの小さな本のある喫茶店
若草山の山焼 今年の山焼きは 今日です。 西の京の大池のには昨日から 場所取りに多くの人が お天気にも恵まれ 良い写真が撮れますように 5年前の写真です 奈良の冬の風物詩
西の京 薬師寺周辺です。 正月の神迎え 砂撒き 以前にもブログに載せましたが 薬師寺のある 平城京の西 西の京の風習の紹介です。 オオトシをオオトシともいい 新しい年を翌日に控え 男は神祀りに 女は正月料理の煮炊きに一日忙しい」この日 カド(庭先)や村内の道や氏神の参道などに砂を撒いたり 砂道を... 続きをみる
以前お勧めの本で 奈良のお寺に纏わる昔話の絵本を紹介したことあります。 おの中で 薬師寺に関しての記載もあります。その薬師寺は⒗世紀の大火でも創建当時の姿を残しているが東塔です。 昔 工匠の夢に 天竺から渡ってきた薬師如来が現れ 塔の建立を命じました。しかしながら この塔の姿には大きな悩みがあり... 続きをみる
?????年前 薬師寺で頂いた冊子です。徒歩5分でカフェをしています。この薬師寺の写真は 西塔が復元される前の 西塔の柱の跡です。 ここには雨水が溜まり ここに東塔が映る その姿はなにより美しいと言われていました。子供の頃から慣れ親しんだこの風景 西塔の復元 そして東塔の修理を経て 思い出になりま... 続きをみる
奈良町に生れ育った 増尾正子様の著書 奈良町のこと 西の京やその他奈良周辺の歴史をソフトなタッチでかつ興味深く書かれている為 読みやすい本です
風邪のため遅れました。 今回はほんではなく 奈良町にある十輪院からのお知らせからです 七福神について 解りやすく表現されています。 ご本尊が 石仏です。 落着くお寺で癒されます。
野々宮天神社 薬師寺から西の方角に徒歩10分から15分 大池(勝間田池)北側に 野々宮天神社があります。 野々宮天神社には 菅原道真と相撲の祖と言われる野見宿禰が祀られています。 野見宿禰は菅原道真の先祖と言われています。 また埴輪を垂仁天皇に考案し造り創り初めた人物と言われています。その為神社内... 続きをみる
勝間田池と薬師寺 今現在 大池(勝間田池)の護岸は堤防が造られています。 昭和37年に薬師寺と共に堤防造りを始めたと聞いています。 それまでは 素掘りの堤防でした。近くの 秋篠川から石を運び堤防を3年掛かり造ったと地元の人から伺いました。 この大池は近隣の人々は古代から誰しも知る池であって 癒され... 続きをみる
勝間田池 (勝間田の 池はわれ知る 蓮無し 然言ふ君が 髭無き如し」 婦人 天武皇子の新田部皇子の旧宅があった。 皇子が婦人に 「水影濤々として蓮花灼々たり。可怜断腸 言うことを得べからず」 と絶賛したところ その婦人が この戯歌を返したのであろう。万葉の時代から脈々と歴史と共にこの風景み... 続きをみる
月刊大和路 ならら 2020年 1月号 天武天皇10年 681年に天皇の命により日本史の編纂が始められた。 日本書記は中国の史書に習って漢文体でかかれています。‥ 日本書記の編纂 の背景のナゾの紐解き 親しむことが出来るものです。
薬師寺近くの 天武神社 薬師寺を造った天武天皇がお祀りされています。薬師寺から南東に徒歩約15分 大池西側の細い道をたどって行くと ひっそりとした木々に囲まれた所にあります。 日々手入れされた神社です。
西の京 今日の風景です。天平人が同じ風景を見たのでしょうか 堤防左側ぐらいに 龍の祠がありました。江戸時代後半に洪水により流されたそうです。 薬師寺に東南の龍王社にその龍が祀られています。 今月の予定 お休み予定 7日火曜日から本年は営業を始めます。 12日(日)13日(月) 19日(日)20日(... 続きをみる
令和2年正月 昨年中は皆様に大変お世話になりました。 本年も宜しくお願い致します。 大和の知りうることを発信したく思います。 日々親しんでいる薬師寺の東塔が改修され工事の足場も外され今年は 新しい輝き美しさを目にすることができます。4月22日には落慶法要と聞いています。 天平の宮人達の散歩道 大... 続きをみる
大和の自然 スズラン 外部資料 大和地方のスズランの自生地の気温や土温は 夏の最高気温は他に比べて低い。これは寒地性植物の生存には 夏の高温が致命的である。 この地帯のスズランは 気温変化の中で 逃げ遅れた植物であるから 現在の環境が必ずしも良いとはいえない。 吐山地方の古老の話では 後醍醐天皇が... 続きをみる
大和の自然 スズラン 外部資料 鈴蘭 の言葉の響きは なんとなく ロマンチックな感じがしませんか? 日本のスズランは北欧地方に多く分布するドイツスズランの一変種で 日本の植物学の開祖である伊藤圭介氏の名前から ケイスケ と名付けられた。この種類の植物は北海道 東北地方の局部は中部地方の高山の一部に... 続きをみる
大和の自然 オオヤマレンゲ 外部資料 オオヤマレンゲはマグノリアベレクンダ と言う。中国山東省 朝鮮半島には自生していると言われていた。しかし 日本には存在していないと考えられていたが 明治28年 (1895年)吉野連携で釈迦岳から弥山の途中で初めてオオヤマレンゲ の自生が発見されつぁ。さらに 明... 続きをみる
三度グリ 栗の花 外部資料 一般的にクリは、その開花期が5月下旬の日照時間のきわめて長い時間で、いわゆる長日性植物の典型的なものであるが どうしたことかこの三度グリは5月初めから11月月下旬頃ごろまで 日長時間に無関係に開花結実する植物を盲日照植物とか 日照無関係植物とか呼ばれている種類である。... 続きをみる
大和の自然 三度グリ 外部資料 古い文献には 三度栗の名称がある。そこには 大和の三度グリと同一植物とは考えられない。しかし いずれも一歳再三子を結ぶとか 一年に三度花咲いてなるとか書いてある点でよく似ている。 本草網目啓蒙(1803年)にはシバグリ ササグリ モミジグリ を大和本草でいう芽グリ... 続きをみる
今週も 入江泰吉氏の美しい 何時までも遺したい奈良の風景の写真です。 有史以来の歴史や文化史の中心をなしていたのが 大和でそれぞれの存在が主役になり時代を語っている。
大和の自然 三度クリ 外部資料 外部資料 新潟県では三度クリ といわれるクリの木があった。このクリは親鸞上人と関係のあるクリとされて 4月下旬から5月上旬 8月初旬と11月初旬から下旬までの3回結実する珍しい種類とされている。 しかし 大和地方にはこの三度クリと同じように5月下旬から11月までに花... 続きをみる
大和の自然 大台ヶ原のイトザサ 外部資料 開花結実によって枯れ果てた大台ヶ原のイトザサの群落をその翌年の夏には枯茎に埋もれて一平方㍍の地域に5百本にもおよぶ数葉をつけた幼い実生が生じていた。有性的にできた実生の若々しい新芽が やがて枯れ去ったイトザサのあと継ぎとして今後何十年間は存在することでし... 続きをみる
大和の自然 大台ヶ原のイトザサ 外部資料 竹の開花結実して一時さびしい枯れヤブになることはあると聞いている。しかし マダケは若い地下茎の一部が残って次第に復活すると考えられる。 ササの類は開花結実すると根こそぎ枯死するかを調査した情報では ササの種子を食うモグラネズミが急に増殖して地下茎の下を穴だ... 続きをみる
大和の自然 大台ヶ原のイトザサ 外部資料 竹やササの開花結実の現象がある地方に起ると奇妙にその年には地理的 気象的 な差異を問わず南のはてから北のはてまで一斉に開花することだけはある程度確認されている。1923年 竹の一斉開花は、竹類はもともと地下茎によって株分け式に繁殖したものであるから竹林の新... 続きをみる
大和の自然 大台ヶ原山のイトザサ 開花 外部資料 大台教会に長年居た方が 他の種類のササが開花結実したのは 知っているが 大台もイトザサの類の開花結実したのはこの大台で始めて知った と言っていた。古くから竹やササはキキン年に呼応えして30年 50年 60年とかを周期として開花結実すると伝えられてい... 続きをみる
大和の自然 大台ヶ原のイトザサ 外部資料 大台ヶ原山頂の牛石ヶ原 正木ヶ原 を初めとして台高脈の屋根筋一帯には ミヤコザサに似ているがそれよりも緩い性繊弱で葉の細長いイトザサと名付けられているササが一平方㍍の地域に三千本も数え得る密度で大群落を形成している。
大和の自然 ヤエザクラ 外部資料 知足院には古株から分けた重ねたものが残っている。この種類の桜は接木が困難で増殖が難しい種である。この由緒ある桜を残し 増やしていかなければならない と考えている。
奈良の写真家 入江泰吉氏の写真集です。奈良の大和の美しい風景を撮り続け後世に残された方の写真集です。今は西塔も復元されていますが この眺めは私達を天平時代に思いをはせさせます。
大和の自然 ナラノヤエザクラ 伊賀の花垣にはナラノヤエザクラの古樹があって玉垣をめぐらし 土地の神木とされている。付近の花垣神社境内には芭蕉の句 「里はみな花守の子孫かや」の句碑が建てられている。 外部資料 花垣の庄では この花垣の里が奈良八重桜の原産地で これを奈良に移植したと考えられている。
大和の自然 奈良の八重桜 沙石集には「上東門院興福寺の別当に仰せて彼の桜を召しければ 堀りて車に入れまいらせる大衆の中に見あいて事の仔旬を問はれ后の仰せなればとてこれ程の名木をいかで進すべき」と移植を反対されて許されなかった。「この事女院聞召して 奈良法師は心なき者と思ひたればわりなき大衆なり。真... 続きをみる
大和の自然 奈良の八重桜 外部資料 奈良の名木で昔大宮人にめでられたと伝えれている 奈良八重桜がある。特に平安朝の上東門院のころ 時の才エン伊勢大輔によって詠ぜられた。 いにしえの奈良の都の八重桜けふこのへに匂ひぬるかな の歌は感慨深いものである。 しかしこの歌の奈良の都の八重桜は 植物学的には... 続きをみる
大和の自然 竹柏(ナギ) 外部資料 ナギは和歌山県などの地質 気候などの暖国の神社境内によく植栽されている。新宮市の熊野速玉神社の巨樹は 見たところ4㍍以上 平重盛が献植したもの伝えれている。 伊豆の伊豆神社にも ナギの巨樹が見られる。ナギの葉を所持ずれば災難を逃れる 守袋に納める また女人鏡に... 続きをみる
大和の自然 竹柏(ナギ) 外部資料 春日大社境内のナギの純林のうち 最大巨樹 あるいは古樹は神社の南参道すなわち若宮神社西南3百㍍の位置の密林の中にある。目通5㍍ぐらいで古色ソウ然としている。以前約4㍍で約約千年と推測されていた。これから想定すると現在樹齢千数百年と考えられる。おそらく大和地方最高... 続きをみる
大和の自然 竹柏(ナギ) ナギは元々台湾 インドが本拠になっている 熱帯系の植物である。日本では一種類だけが 九州 四国南部 に夏の自生が見られる。緯度的にには山口県の岩屋が北限と考えられ 天然記念物に指定された。しかし奈良の春日神... 続きをみる
大和の自然 火山 外部資料 宇陀市の東部に室生火山群があって 奈良県では一番広く安山岩が噴出している。この火山岩郡中にはペディオニーて(岩塔式)の山形をなすものが多く 鎧岳 兜岳 俱留山 古光山 大洞山 などがあり 曽爾川がその間を流れ 付近では 奥香落渓といい 美しい地形をなしている。
大和の自然 火山 外部資料 二上火山群は生駒金剛山脈の中間の場所に噴出した火山である。たびたび噴出して複雑であり、多種の岩石や鉱物を研究するのに好適の場所となっている。主峰の二上山は雄岳525㍍雌岳474㍍ の二峯に分かれ サヌカイト 黒雲母安山岩からなる 盆地から見るとラクダの背の様に見え す... 続きをみる
大和の古きお寺に伝わるお話です。そこに描かれた人の世の真実を発見できます。 文庫より一回り小さく 絵が描かれ 御子様にもぴったりな絵本のように楽しんで 奈良の文化に触れることが出来る本です。
大和の自然 火山 奈良盆地の南には 畝傍山 耳成山 天香久山が大和三山と呼ばれている。奈良南部に美しい姿を表わし古代から人々の心をうるおしている。畝傍山耳成山 天香具山 外部資料 三山のうち 畝傍山は黒雲母火山岩からなり 火山である。その形がともに相似形の土まんじゅうのような トロイデ式の火山の説... 続きをみる
大和の自然 火山 奈良県には火山が少ない。 三笠山火山群に属するのは 奈良公園の背景となる山々で 若草 海抜342㍍柔らかいスロープをなす山肌を示し 奈良のシンボルの一つとなっている。その南の木々の茂る山のうち 後ろの春日山は火山ではなく 若草山は火山である。 さらに佐保川に広がる飯盛山はその名が... 続きをみる
大和の自然 火山 外部資料 奈良市は山々に囲まれている。若草山 二上山 畝傍山 耳成山 香久山 また室生から赤目 香落渓の辺りも火山群で大和の火山は昔から人々の生活に深い関係があった。 日本は火山国と言われているが、奈良県は火山活動が比較的少ない所である。これらの火山は瀬戸内火山帯の東部に属してい... 続きをみる
大和の自然 馬魚(ワタカ) 外部資料 ワタカがなぜここ永久寺に存在するのか? 神社や 仏寺では殺生戒に基づいて放生を行なう。永久寺のような大寺院の放生会には近郷近在の人々が参会し寺の木堂池に魚を放したと思われる。その時に近江ノ国、木津川辺りから持ってきて 放ったと考えれる。人為的に移されたであろう... 続きをみる
大和の自然 馬魚(ワタカ) 明治45年の山辺郡史をみると 元弘年中 後醍醐天皇笠置より御行幸を赤松円心畏くも追跡し奉り布留社頭に至る。此時円心の馬踵き帝の御馬亦之に和せんとす。是に於て帝自ら馬首を斬りり御身を芽中に潜め危難をを避け給へり。其馬首池中に落ち奇魚となる。依て馬魚と称す。能く杉菜を好む。... 続きをみる
大和の自然 馬魚(ワタカ) 外部資料 永久寺は石上神社も南にあった寺である。馬魚がいたといわれる池は 此の地に鳥羽天皇の勅願により開かれた永久寺が五十余坊あり大いに繁栄した。明治18年の大火により全滅しその跡を残すのみである。 南北朝の乱のとき 後醍醐天皇が笠置から吉野へ落ちる途中この地に潜幸され... 続きをみる
12月のお休み予定 1日(日)2日(月) 8日(日)9日(月) 15日(日)16日(月) 22日(日)23日(月) 29日(日)30日(月)31日(火) おなじみパーソナルカラー講座 12日(木)25日(水)終日お店はお休みです。 おしゃべり会 18日(水)午前10時から12時 少人数で... 続きをみる
大和の自然 河川 海苔 外部資料 徳川家専用の海苔としてのカワノリは日光の大谷川の清流の岩面に激流にさらされながら付着したものである。この海苔を科学的に研究されて 𠮷野川の上流本沢川の渓流の角岩にこの植物が多数付着していた。 この海苔は明治になって将軍家がなくなり一般に食べられるよになるとこれを... 続きをみる
大和の自然 河川 外部資料 河川は近畿地方南部の水源地となり いずれも周囲の府県に流れ出しているのが特色で 近畿地方の屋根である。奈良盆地では初瀬川を初め多くの川は奈良盆地をうるおし 中央で集まり 大和川となって大阪ヘイヤカラ大阪湾に流れている。宇陀山地の水は宇陀川 名張川となり さらに大和高原の... 続きをみる
大和の南部の山々 外部資料 奈良県の南側は吉野山地 県全体の60%を占めている。南西に走る褶曲山脈で主よして水成岩からできている。地形は壮年期」で起伏がいちじるしく 急な山 深いV字形の谷が至所に発達している。標高1500㍍以上の高山がそびえ「近畿の屋根」と言われている。中腹以下には吉野杉が山頂付... 続きをみる
奈良盆地 ←北 外部資料 奈良盆地の四周はあまり高くない青垣山で囲まれている。盆地の西側は生駒金剛山脈が大阪平野との間に南北にはしり 南方に竜門山地 東方に大和高原があり 北はごく低い奈良丘陵で京都盆地と境している また竜門山地の東には宇陀山地があり三重県に続いている。これらの山々は主... 続きをみる
大和の自然 地形 外部資料 奈良県は南北で非常に差違がある。北半は奈良盆地を中心に「青垣ももれる」 山々で囲まれている。これは 大阪平野 京都盆地などとともに近畿地方の中央低地帯の一部をなすものである。この地域は我々先祖が早くから住み着き文化が開け また政治の中心地となったところでもある。南側は紀... 続きをみる
五條市内に伝わっている 昔話です。 子供への読み聞かせにも適している内容です。 装丁前のものです。
大和の自然 ツルマンリョウ 外部資料 台湾のツルマンリョウ ツルマンリョウは ヤブコウジ科の植物で 常緑のツル状に茎がフク枝状にはっている低木であって、7月上旬から8月上旬ごろまで小さい黄白色の花が継続して咲き マンリョウのような赤色の果実が熟すのは 翌年の9月中、下旬であって時には赤熟黒実が... 続きをみる
大和の自然 ツルマンリョウ 外部資料 妹山外部資料 大和上市に近い𠮷野川の清流にお直面して、浄瑠璃で有名な妹山がある。この山麓に大名特神社が貞観元年(859年)かた祀られている。種々の迷信や伝説或は信仰の対象になった山だけに 古来斧鉞の災をまぬがれた稀にみる珍しい完全樹林を形成している。昭和... 続きをみる
大和の自然 神野山 外部資料 神野山周辺は花崗岩類から構成されているが 中腹以上には角閃はんれいが分布している。角閃岩はんれい岩は周囲の花崗岩類より風化に対する抵抗が強く なだらかな山の山頂を形成する場合が多い。たとえば神野山以外にも生駒山 香久山 三輪山などは 角閃はんれい岩でできた円頂近くの適... 続きをみる
大和の自然 天竜川 外部資料 神野山 領家式岩類 領家式岩類とは片麻状の花こう岩類を主とする岩類で 種々の片麻岩、塩基性深成岩を伴っている。天竜川の上流の領家地方に典型的に分布しているのでその地方が付けられたものであり 中世代に地下深部で生成されたものであるが その成因については種々論議されて」... 続きをみる
大和の自然 神野山なべくら 外部資料 神野山の山頂一帯は黒色粗粒塊状の岩石であって主として角閃石と斜長石の粗粒の結晶からなり、チタン、鉄鉱などを伴っている。一般に角閃はんれい岩と呼ばれているが 主成分の角閃石は輝石から変化したような形跡があり 輝石と斜長石とからなるはんれい岩が変化した岩であるとい... 続きをみる
大和の自然 神野山 外部資料 奈良県の地質鉱物の天然記念物の一つに神野山のなべくらがある。 なべくらは奇勝で天然に出来た転石の列であるが 黒々とした直径1㍍以上もあるほぼ同じ大きさの石が山頂近くから10㍍ほどの一定の幅で数百㍍続いている。なべくらの底を流れる水を見たら百万長者になれる と言われるほ... 続きをみる
大和の自然 植物の天然記念物 外部資料 春日山 かすが春日原始林 竜門村 妹山樹叢 仏経ヶ丘 仏経ヶ丘原始林 春日神社 ナギ樹林 吐山 向淵 スズラン群落 三之公川 トガサワラ純林 弥山 ムクノキの巨樹 室生山 オハツキイチョウ 北山村 金十尾原生林 竜田 桜井 ソテツの巨... 続きをみる
天然記念物 外部資料 奈良の動物の天然記念物 奈良公園鹿 大台ヶ原 カモシカ 春日山 ルーミスシジミ 曽爾 オオサンショウウオ 大台ヶ原 大台ヶ原サンショウウオ 東大寺 馬魚 弓手原 イワナ 春日山 サツマニシ 大宇陀 田ウナギ 春日山 モリアオガエル ルリセンチコガネ ヒメハル... 続きをみる
「龍」は 神がかり的なもの それを 色々な表現されています
奈良の鹿の社会学 外部資4年間400頭余の奈良の鹿の研究に京都大学の学生が一頭一頭づつ名前を付け追跡調査をした。鹿のグループ関係 縄張り 親子関係 群れの中の順位 リーダー制 両性関係 等など色々である。
鹿の社会学 外部資料 奈良の公園には多くの鹿がいる。その一匹一匹を見分けることができるでしょうか?鹿の研究を行なう上で調べた人がいます。昭和22年(1947年)京都大学の学生で奈良公園で鹿の観察を始めた。京都から自転車で生活道具を運んできた。春日大社のご好意で鹿苑の傍らに一戸を借り4年間にわたり鹿... 続きをみる
奈良の鹿 外部資料 奈良公園の鹿の激減は昭和21年(1946年)11月の鹿供養の芋を与えるため 鹿寄せをしたところ 集まった鹿の数は僅か8頭であったということからも知られるようになった。当時春日一の鳥居から神社にかけて歩いても 前後左右目に入るかぎりの空間に見る鹿はやはり十頭にも満たない場合が多く... 続きをみる
奈良の鹿 外部資料 奈良の鹿は保護されてきた。しかし 歴史の中でいくらか危険も幾度かあった。その一つが明治維新の時 百般の制度 旧慣に無類の変化があったが 鹿保護の気分も一時大いに緩んだ。そして戦争の場合いである。戦争末期から終戦1~2年にかけては 食料不足のために人に食された鹿があったらしい。ま... 続きをみる
奈良の鹿 外部資料 平安時代以降各時代の権力者がこの奈良の鹿を保護したことは歴史的にみて明らかで 戯作でもある様に鹿を殺して石子詰めの刑を課せられた話など かなり厳しい刑で取り締ったのである。 奈良の早起き と称し朝早く起きて自分の家の周りを見渡してもし鹿が死んでいたら これを届けるか 病気と決ま... 続きをみる
奈良公園には鹿が多くいる。神護景雲2年鹿島から大神を乗せて鹿が奈良に来たと言われているが、鹿は昔から日本の至るところの森林いた。大和地方にも土着の鹿がいたと考えれる。しかしながら街のなかで生息しているのは非常に珍しく長い間人間の保護があったことが解る。 平安時代の貴族の春日信仰には 並々ならぬもの... 続きをみる
コウゾとカジノキ コウゾ カジノキ 外部資料ね 大和の山野にもコウゾ カジノギ ツルコウゾ の3つが見られる。その分布は山添山間や吉野地方に多い。またコウゾは吉野郡竜門付近の山畑に多く栽培されているが 次第にパルプ原料による製紙が盛んになるに... 続きをみる
栃柿 吉野の奥に木練という代表的な品種がある。俗にトチワラ トチガキ ポンガキ などと呼ばれている。大和の各地にも散在している。栃柿というのは 昔カラスが飛んできて種をまいたのが育ってこれになったといわれている。トチガキ とは下市町栃原のことで この辺りには 300年も経た柿の古木がこの付近が存在... 続きをみる
山の辺には山添三ヶ谷付近には三ヶ谷御所がある。俗に盆ガキと呼ばれている。果肉がやや粗造で 多くの褐斑があり 甘味に富み 風味良好で御所柿に劣らない風格を備えている。奈良市を中心とした地帯にはツルノコと呼ばれる品種が二種ある。いずれも鶴首のような長い形で一方は甘柿で 他方は澁ガキで 晩秋のころに タ... 続きをみる
朝夕は寒さ感じるようになりましたが 日中は過しやすい日々ですね イベント予定 16日(土) パーソナルカラーアドバイス&講座 午後1時30分から3時半まで 小人数で行ないます。 必ずご予約下さい。 費用 ¥3000 27日 (水) 第1回おし... 続きをみる
雑ガキ 外部資料 御所系の柿は概して大型で 果皮濃紅 果肉に羯斑がなく 風味優秀で緻密格別な風味を持っている。これを大宮人にたとえると小型で果皮に黒斑 亀裂が多く 果肉が粗造 多くの淡い羯斑があり 甘味に富み 良好ではある。これに対して澁果をまじえる雑がきは素朴な庶民のすがたであろう。しかし こ... 続きをみる
古事記 日本書記 と言ったら 難しく 難解な本と思っていませんか? 漫画になれば ハードルはグット身近です 距離感を感じていた方にも親しみやすい本です。
花御所 外部資料 花御所は鳥取名産となっている。昭和26年 原産地を調べられた。約200年以上前(天明)鳥取県八頭郡大御門村の住人五郎助なる人物が 大和の国を巡礼中(当麻寺)豊麗多果のカキを見て 枝を携え帰った。それを庭先に植えた。後幾去年にして結果せるに美味多産也。則隣人知己競って植移するに至る... 続きをみる
御所ガキ 外部資料 大和の御所ガキにも いろいろな系統が知られている。当麻村付近が原産地と称される 盤城系御所 山辺地方が原産地と称される中沢系御所 奈良五ヶ谷付近の中井系御所 猪岡系御所などが御所ガキ(本御所)の大和での変種である。このほかに著名なために 品種とされたものに 奈良市藤原を原産地と... 続きをみる
外部資料 「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」 晩秋のころ いかるがの里をゆくと しみじみ味わうことのできる大和の旅愁である。古来大和とカキは深い繋がりがある。 「柿の種類は多し 就中 大和国五類の有名なり」とある。また「幕政中 年々柿を献じたるは此の御所柿なり」また「柿に雑品あり。その内木蓮を以て上... 続きをみる
古代大和の国境疫神祭 ランドマークとしての祭祀 国境をを考慮した祭祀である特色で 大和の国では奈良盆地が中心である関係上 峠や尾根筋に限られた生活空間を分ける。その為に 祭祀はその空間を分けるためのランドマーク的なものになっていると考えられる。また交通路の多い場所の祭祀は疫神祭であったとも考えられ... 続きをみる
古代大和の国境疫神祭 紀伊 河内国境と道 大和と紀伊国境の主要道は 下ッ道の延長であるなら時代までの南海道である。 ここに沿っては 下之の祇園牛頭天王社と、近世以来の国境の村、畑田の八坂神社。しかし 今井にある宇智神社(式内社と推定)は阪合部と称する真土峠付近から還座 国ッ神である国生明神を祭... 続きをみる
古代大和の国境疫神祭 大和の伊賀の国境の主要道は 奈良盆地南東部から初瀬川を遡行して黒坂(西峠)を越えて荻原から名張へ向かった藤原京時代の東海道(伊勢街道北路)と 荻原から御杖を経て伊勢に向かった伊勢本道 五ヶ谷あるいは高瀬川の谷から大和高原を越えた都祁山の道である。 黒坂神社は現在は宇陀川右岸の... 続きをみる
日本の歴史から来る文化 伝統そして日本人の精神を日本語と英語で表現されています。
古代大和の国境疫神 山城 意が国境の疫神 大和と山城国境の主要道は いわゆる奈良坂越 コナベ越 歌姫越 渋谷越である。 奈良時代の東海 東山 北陸道と考えられるコナベ越に沿っては 山城側の木津で式内社と推定される岡田神社と応永年間までしかさかのぼれない木津天王社がある。 歌姫越に沿っては 大... 続きをみる
おしゃべり会 =チャターの会 シニア?それに近いかしら?????と感じる方々 おしゃべりの会に参加してみられませんか? 今の私 今後の私 について思いを 話しませんか? 他人の話を聞いて考えて 参考に そして友達作りをしましょう 日程 11月27日(水) 午前10時から正午 の2時間の予定 場所 ... 続きをみる
疫病を防ぐ神 疫病を防ぐ疫神として祭祀されるようになった場所としては 平安京のある山城と外囲にあたる畿内の堺が十個所あげられており 大和に関連するのは 山城と大和 大和と伊賀 大和と紀伊 の各国境である。また続日本書記からは具体的な場所の説明はないが 平城京のある大和と外囲にあたる畿内堺が十個所考... 続きをみる
国境疫神祭 境界で行なわれる疫神祭は自らの生活圏に入ってくる疫病を防ぐこと 外へ出向く時の道中安全を祈ることと考えられた。古代においては 天然痘(疱瘡)と推定される。疫病は人から人へと伝染していくので 往来のはげしい主要道に沿って集まる チマタ においても疫神祭祀は行なわれた。 インド祇園精舎の... 続きをみる
幕末の奈良の生活 外部資料 植桜楓之碑 奈良が名所としてもの詣で遊覧の町となっきた。 元禄の東大寺復興の盛時ののち間もなく興福寺が炎上して大半の堂舎を失った。ここに名所奈良の大半を占める興福寺境内には荒廃が目立ってきた。奈良の経済力の衰退が表われている。さらに安政6年(1859)には 奈良の... 続きをみる
奈良の幕末の生活 奈良が名所としてもの詣でよりむしろ遊覧の町となってくるにつれて 土産物の需要も増してくる。これに応じて奈良産業が衰退への過程で土産物化したものが多い。奈良土産の記録の古いものに記されている。
幕末の町民の生活 旅籠屋 今御門の旅籠屋の訴えの解決の和解条件は 諸国一円の旅籠屋とも提携して指図合わせしないこと 旅人に指図を送らないこと 灯籠講 浪花講の講名を名のらせ その看板を目当てに宿泊するように働き掛けないこと偽りの看板」や行灯を掲げて旅人を引き留めないこと 次の旅籠屋に導きをしないこ... 続きをみる
幕末の町民の生活 旅籠屋の和談のいもかかわらず 樽井町側はやがてこれにそむき 判取帳や絵図面によって初瀬方面から奈良への旅人に対して 丹波市から郡山へでて 薬師寺 唐招提寺 尼ヶ辻を経て奈良西口に達するのが順路のように教え また南口の椚町から奈良へ入る旅人には 中辻町から 西へ向きを変えて橋本町 ... 続きをみる
奈良県47市町村の四季折々の魅力を紹介 多くの人に知られていることは勿論 地元自慢の魅力も多く載せられています。 奈良県観光連盟の編集です
幕末の町民生活 天保の改革で諸株取放ちが命じられてのち 旅宿えらびは旅人の随意にまかせ 旅籠屋は銘々軒下限りの勧誘にとどめるように申し渡された。このことで 春日大社への参道 三条通りに面した樽井での宿泊が多くなり 今御門での宿泊が減少してきた。このことは 樽井町側がさきの約束に反して 伊勢から 初... 続きをみる
幕末の町民の生活 奈良町の旅籠屋は客を引き受けるにあたって 互いに営業が順調に運ぶようにそれぞれ客の来た方向によって 泊まる宿を決めていた。樽井町の旅籠屋は大坂街道 今小路町の旅籠は京街道と伊勢越え 八幡街道かたの旅客を 猿沢池南の今御門町は伊勢 初瀬街道筋からの客を泊めた 各町の旅籠は互いに尊重... 続きをみる
三条通り 三条通りを歩く目的の一つ川路聖謨の実蹟を知ることです。 聖謨は 奈良奉行のあと大坂町奉行を経て勘定奉行兼海肪掛にすすみ 民政 外交に活躍した。露国使節プチャーチンとの交渉にあたり 日露和親条約の締結に力を尽くしたこともよく知られている。聖謨は維新の戊辰戦争で江戸開城がきまったおり みずか... 続きをみる
三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです。 外部資料 幕末には奉行所の与力同心たちは4~5年に一度 法蓮村で花火をあげる行事を行なっていた。その夜はまるで祭札のようで 町の人たちもずい分集まり 与力の妻などは衣類を新調して見物に行くというありさまであった。嘉永2年(1849... 続きをみる
三条通り 三条通りを歩く目的の一つに 川路聖謨の実蹟を知ることです 6 外部資料 聖謨は奈良の与力について、ここの与力は奉行所を我が家のように思い 夕涼みには涼み台を門前に出して浴衣がけで涼んでいるとか 奉行所の普譜の見回りには木綿のどてらに大小を差しているとか 奉行所の空き地へ苗木を植えて朝夕そ... 続きをみる
三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実践を知ることです。 5 外部資料 聖謨は社会福祉制度とともに 桜楓植樹のことも特筆されることである。奈良の物産として聞こえる墨に深い関心をもち 古梅園の主人に墨質の改良をすすめ 唐墨の製法について長崎奉行に照会の労をとっている。古梅園の努力の甲斐あっ... 続きをみる
奈良公園の鹿と人の長い付合いについて調べられたものです。 東大寺の大仏様 興福寺の三重の塔 と 同様奈良公園の鹿は奈良の代表的存在です。 街の中で闊歩する鹿 人と共生し普段の生活に鹿の存在は慣れ親しまれています。 その疑問をすこしでも紐解いてくれる内容です。
三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです。4 外部資料 聖謨の治績でw注目されるのは 社会福祉の事業である。聖謨は着任以来、盆や暮れには病人・老人・貧者な困窮者に施与をおこない、その救済を心掛けている。たとえば、弘化4年(1847)の暮れに、奈良町の貧者に自分の入用金のう... 続きをみる
三条通り 川路聖謨 4 外部資料 警察の仕事も奉行所のつかさどるところであった。聖謨は 強盗などの取締まりを厳しくしたために 忍人りなどが大いに減ったと伝えている。また、奈良では賭博のふうが盛んで、寺院などもその場所に利用された。このようなことから、禁制の賭博の取締まりに努めたのでかなりの成果を... 続きをみる
三条通り 三条通りを歩く目的の一つに川路聖謨」の実績を知ることです 3 外部資料 昨日の続きです。 誠を尽くして正理を誤らなかっただけでなく 民事 刑事とも裁判の渋滞をいましめ 与力たちを督励するとともに ときには日に数度も評定をかさね みずからも審理に努める。
三条通り 三条道理を歩く目的の一つに川路聖謨の実蹟を知ることです 2 外部資料 聖謨の施政は、土地の旧慣重んじながらも 流弊をしだいに改めていくという方針であった。そして政治には仁怨の心を専らとし、節あって寛大なことが大切と考えた。彼は、嘉永2年(1849)2月のころ 五位百笑の奉行と噂されたとみ... 続きをみる
三条通り 外部資料 三条通りを歩く目的の一つに川路左衛門尉聖謨の事蹟を知ることです。① 外部資料 歴代奈良奉行のうちでも 川路左衛門尉聖謨は忘れられない人物である。 聖謨は改化3年(1846年)正月 池田播磨守頼方が普請奉行に転じたあと 普請奉行から奈良奉行になった。嘉永4年(1851年)大阪町奉... 続きをみる
百萬の塚 外部資料 三条通りのぶろぐでも書きましたが 再度になります。 百万ヶ辻子町と呼ばれる町がある。ここはかつて百万親子が住んでいたといい その供養塔が屋敷跡から 徳川家康の分骨を安置した小さな西照寺寺院内に いつともなく移された。
奈良口 江戸時代から続く街並みの面影をのこす奈良町。古都の有名寺院とはまた違った 庶民の肌のぬくもりを感じさせる風情がある。その奈良町に通じる街道に 奈良七口 という7個所の入口があった。JR奈良駅前の灯籠 大阪方面への出入り口である。ここから東に進と猿沢池そこから南に肘塚町は街道向きに2つの灯籠... 続きをみる