「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

2025年4月のブログ記事

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯藤原京 ① 外部資料 畝傍 耳成 香久山の大和三山に囲まれた地に、わが国初の本格的な都・藤原京があったことを疑う人は今でこそいないが、それが確定するまでは時間がかかった。 藤原京は和銅三年(710)廃都となり、まもなく周り一帯はあ田園となった。そして時とともに忘れ去られていった。藤原京がかつてこ... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ♯万葉集 外部資料 日本初の歌集「万葉集」には、仁徳天皇の后から平城京の歌人まで約4516首の歌を収めている。万葉集は全20巻の構成で、4つの時期に分けられる。一期は大化の改新から壬申の乱まで。二期は元明天皇の奈良遷都まで。三期は聖武天皇 天平9年(737)が孝謙天皇の天平宝字三年(75... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑱ 大宝律令№2 外部資料 この律令は文武天皇の時代に発布され、藤原京の朝堂院で盛大な儀式が営まれた。この律令の公布で、以来こんにちまで元号が制定され、貴族の位階も、この時の規定が近世まで長くつかわれた。後世に与えた影響は、誠に大きなものがあるとはいえ、すべての規定が文字通り守られたもの... 続きをみる

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    古都の都 ⑰ 大宝律令 外部資料 律令の令は政治機構についての規定がある。 二官八省 の制度である。天皇のもとで、天皇のもとに神祇官 と太政官を設置した 太政官の下に 八省のもとに業務を担当する多くの宮司が置かれた。 この二官八省が行政の組織、機構とすると それとは別に統治、治安のための機構もあり... 続きをみる

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    古都の都⑯ 大宝律令 不kじゃさ 外部資料 律令の撰定にあたったのは、天皇の皇子にあたる刑部(おさかべ)親王をはじめ、藤原不比等ら19人。遣唐使として渡り、その学識の深さが唐の正史にも記録された当代の学者・栗田真人(まひと)もいた。天皇はこの法典に先立って飛鳥浄御原令も画しており、それも天皇が亡く... 続きをみる

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    古都の都 ⑯ 大宝律令 外部資料 藤原京は建都からわずか16年で奈良の平城京に移転した。天武天皇が中国の律令制度に基づいた国造りを決意し、その新しい国にふさわしい都として藤原京の造営を考えたが、新都は天武天皇のきさきだった、持統天皇をはじめ文武 元明の三代の天皇の間、存続したにすぎなかった。しかし... 続きをみる

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    古都の都 ⑯ ♯藤原京 大管大寺 外部資料 外部資料 藤原京には左京には大官大寺が建立された。 創建については、日本書記の天武二年に「小柴美濃王 小錦下紀巨詞多麻呂をもって、高市大寺造る司に拝す。今の大官大寺、是なり」とあるが、文武朝(697〜707)と考えられている。また大官大寺は欽明天皇の百済... 続きをみる

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    古都の都 ⑭ ♯藤原京紀寺 藤原京には平城の紀寺の前身になる寺で、現在地は明日香村小山にあった。創建は藤原京が造営される前の7世紀後半。寺地の周辺には築地大垣があったとみられ、東西 南北の一辺の長さが約226㍍に及ぶ。本藥師寺と同じ程度の規模と考えられている。 伽藍が南から南大門 中門 金堂 講堂... 続きをみる

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    古都の都 ⑬ 橿原市 藤原京の時代には 大きな寺が建立された 本藥師寺 大官大寺 紀寺など今は建物は残ってないが、平城京に建立された官寺に四敵する立派な寺だった。 本藥師寺 建立は天武天皇が皇后の病気平癒を祈って創建した。国営の官寺である。しかしながら工事は天武天皇が亡くなってから持統天皇が引継ぎ... 続きをみる

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    古都の都 ⑫ 藤原京 外部資料 藤原京において疫病が流行った。 日本書記などには、文武2年(698)から諸国では疫病の発生したことが多く記されている。 これは国家が疫病対策を事業として取り上げたことのほか、藤原京の建設で疫病が流行りやすい場が作られたためとしている。そのため、政府はその対策として医... 続きをみる

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    古都の都 ⑪ 藤原京市場 外部資料 諸国から集まった食料や、生活用品を販売した場が管設市場として、東市と西市の二つがあり 食料品や繊維製品 手工業製品などを売っていた。これらを監督する 市司 がおかれた。この市場については 扶桑略記 に記されている。平城京に遷都する三年前の和銅元年(708)に鋳造... 続きをみる

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    古都の都 ⑩橿原市♯藤原京人々の暮らし 外部資料 庶民の食事 外部資料 下級貴族 外部資料 高級貴族 藤原京時代の人口は2〜3万人。 平城京になると、人口は約20万人 当時としては 世界でも有数の都市になったが、その全身の藤原京も、日本では初めて多くの人々が集まった都市になった。 人々の食事は日に... 続きをみる

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    古都の都 ⑨ ♯橿原市 外部資料  藤原京は朱雀大路によって 西の右京と東の左京に分かれている。南北路は、このほか右京 左京双方に、一坊、二坊 三坊の各大路が走る。東西路は北から一条 二条 三条と続いて、十一条大路まである。その東西 南北の間にはそれぞれ小路が1本づ通り、大路と小路で囲まれた区画は... 続きをみる

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    古都の都 ⑧ ♯橿原市  藤原資料館のジノラマから 天の香久山近くにあります。 藤原京の条坊が東西八坊、南北十二条だったことは、大宝令の規模定から知ることができる。天皇が住んだ内裏がある藤原宮の周囲には、貴族、役人、庶民の家が並んでいた。京の規模は東西2.1㌖、南北3.2㌖と推定され、藤原京から移... 続きをみる

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    古代の都 ♯橿原市藤原京 外部資料 藤原京の 大極殿 朝堂院など主な建築物の周囲には役人たちが執務した建物があり、下級官吏数千人が働いていたとされている。そこに 舎人官 陶官 民部省 馬寮 左右馬寮 大膳職 内膳司 膳職 弾正台 造酒司 など二十八種を挙げている。 役人の勤務状況は、 日の出の時間... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑥ ♯橿原市 外部資料 朝堂院を北へ行くと大極殿がある。天皇が政治や儀式を行った建物であ、間口が約45㍍ 奥行が約21㍍ 高さ25㍍ 藤原京内最大の建物で当時の日本でも最大の大きな建物であった。 現在藤原京の跡地の木の茂った小高い場所が大極殿の基壇がある。 大宮基壇 と呼ばれている。この... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ⑤ 橿原市 ♯藤原京 朝堂院 外部資料 宮の玄関 朱雀門から中に入ると 回廊に取り囲まれた朝堂院がある。そして朝堂院を中にして、北に大極殿、南には控えの場である朝集殿を配している。朝堂院は儀式のとき、貴族や役人たちが集まった所で、官庁街にあたる地区。この東西側にそれぞれ4棟の建物が南北に... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ④ 橿原市 外部資料 外部資料 日本で初めて造営された本格的な都 藤原京の中心は藤原宮。この宮で文武天皇 元明天皇が即位している。そしてここには天皇が住んだ内裏と、それを取り巻く官庁の建物があった。天皇が儀式を行った建物は大極殿と呼ばれ、高さは3階建てのビルに相当した。 宮は藤原京の中央... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古都の都 ③ ♯橿原市 外部資料 天武天皇の遺志を継いだ 持統天皇が橿原市で藤原京を造営したと考えられるが、日本書記では、持統天皇5年の記事で藤原京を 新益京(あらましのみやこ)と呼んでいる。これは当然、天皇が住んでいた飛鳥の都に対し新たに造営される都のこと考えられる。 藤原京は、大規模で新しいタ... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古代の都 ♯橿原市 ② 外部資料 天武天皇は即位(673)後 都を移す計画を立てたが、実現せず、律令体制の整備と中国との通交が頻繁になるにつれて 都かあった飛鳥では狭く、新たに中国式の大規模な都が必要になり、難波遷都に着手した。が飛鳥地方の人々の反対で中止せざるを得なかった。天武天皇の次の天皇持統... 続きをみる

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  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    古代の都 ♯橿原市 ①  以前 生活し学校に通い友人と遊び 橿原市 懐かしく 地である。 その橿原市は歴史の宝庫 今になって知りえることである。 外部資料 橿原市の中心部に七世紀の末日本で初めて本格的な都城・藤原京が出来た。存続したのは平城京に都が遷るまでの 16年 しかし白鳳時代はここを背景に華... 続きをみる

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  • ♯奈良公園の父 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯前部重厚 歴史を感じる大木 その間に芝と鹿 その東には山並み 寺社仏閣が見渡せる風景は他に類を見ないものである。 ♯奈良公園がほぼ現在の姿になったのは、明治の末 日本の古美術研究家として知られている アメリカのフェノロサが、九鬼隆一男爵の案内で奈良公園を散策 その日一日中 フェノロサは無言であっ... 続きをみる

  • 雨に纏わる話 ⑦ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯野神行事 外部資料 雨を期待する農家の人々が今もって素朴な信仰のもと「蛇」を祭っている野神行事がある。 奈良県平野部は米の産地にもかかわらず生育に必要な水の確保は難しい。このため「お田植えまつり」や「おんだ祭」また「砂掛け祭」も豊作につながる水への願いを込めて祈念の祭りが各地で繰り広げらる。 そ... 続きをみる

  • 雨に纏わる話 ⑥ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    水を支配する竜蛇 竜穴神社 外部資料 大和の国の「気象」と「民族」のかかわりを調べると、農業が主な産業であった古代から近代まで、稲が必要とする「水」の量は、空から降ってくる雨だけでは半分にも満たず農家の人たちは水を確保するため、水路を開き、井戸を掘り、池を築くなど、あらゆる努力を惜しまなかった。そ... 続きをみる

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  • 雨に纏わる話 ⑤ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    悲劇の3大流れ ♯十津川流れ 明治22年(1889)8月18日 19日両日十津川を村を中心にした壊滅的な水害を「十津川流れ」という 和歌山県水災史には、その年は春から梅雨期にかけて曇雨天の日が続き、梅雨どきもアワセの着物が必要で7月8月は陰晴定まらず蒸し暑い不順な天候だったとある。また吉野水災誌に... 続きをみる

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  • 雨に纏わる話 ④ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    悲劇の三大流れ ♯初瀬流れ 外部資料 御所流れから71年後の文化8年6月15日(1811年8月3日)今流にいえば短時間の集中雨である。この年は、5月下旬に雨降りの空模様が続いた後、6月21日から26日にかけて長雨となり、三輪では三軒が流れ、寺川では堤防決壊で問屋の土蔵三棟が流出するなど、長谷川と周... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから 卯月のお知らせ

    今月 お薦め ならら は奈良の情報が記載されています。 今月は、天理大学の特集 個人的に関心の強いモノが 天理大学付属天理参考館には 世界各国から30万点以上集めた生活資料  考古資料などの展示されています。 4月の営業日  5日(土)6日(日)  12日(土)13日(日)  19日(土)20日(... 続きをみる

  • 雨にまつわる話 ③ 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    大和の悲劇3大流れ1 ♯御所流れ 外部資料  大和の国には 「日焼け一番 水つき一番」という言葉がある。飛鳥の頃から江戸末期まで千二百七十年間の干害は約110回 洪水の回数も85回である。明治時代に入ってからもそれぞれ回数を重ねている。 元文5年閏七月十七日(1740年9月7日)の洪水を「御所流れ... 続きをみる

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  • 雨にまつわる話 ② 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    山口神社 丹生川上神社 中社 額 外部資料 外部資料 耳成山口神社 大和には山口神社は大和に14社あって、もともとは、皇室の御料林山であった。宮殿造営のため材木伐採・運搬という危険な仕事のため、山の神に対し入り口で祭典祈願していたと解釈されている。が「三代実録」の貞観元年(859)9月の条に「風雨... 続きをみる

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  • 雨にまつわる話 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    ♯水不足に悩んだ大和 ① 外部資料 古代から開けた大和平野とその周辺では、多くの人が住み付き、大量の穀物を必要とした。そして稲が生育する暖候期間に降る雨は必要量の半分にみ満たない土地柄だけに、農民たちは、天から恵み、適雨を渇望した。水の神が水をくれないから干害が起きると考え、竜神や水を支配する神に... 続きをみる

  • 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

    外部資料 外部資料 ♯天理 楢神社の実益井 実益井は、四角な花崗岩で井戸枠が組まれている。 古来、子供を授かり知恵を益し、万病に効ある霊水と伝えられてきた。 この井戸枠には、もう一つ江戸人のしゃれっ気が加わって、話題を提供している。歌舞伎界の名門 市川家の定紋、三枡に通うことから、江戸時代の184... 続きをみる

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