近畿地方と周辺の地震 薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
奈良県に住んでいると 自然災害が少ないと感じるという声があるが、 奈良市周辺のみであって 奈良県全体ではその考えは当てはまらないと考える。 歴史的に見た地震の分布であるが 周辺でまた影響のあった地震は決して少ないとはいいがたいのではないでしょうか? 南海トラフが起こるであろうといわれている今 地震... 続きをみる
薬師寺近くの小さな本のある喫茶店
奈良県に住んでいると 自然災害が少ないと感じるという声があるが、 奈良市周辺のみであって 奈良県全体ではその考えは当てはまらないと考える。 歴史的に見た地震の分布であるが 周辺でまた影響のあった地震は決して少ないとはいいがたいのではないでしょうか? 南海トラフが起こるであろうといわれている今 地震... 続きをみる
4 中震 家屋の動揺が激しく、すわりの悪い花瓶など倒れ、器内の水はああふれ出る。 器内の水はあふれ出る。また、歩いている人にも感じられ、多くの人々は戸外に 飛び出す程度の地震。 眠っている人は飛び起き、恐怖感を覚える。 電・立木などのゆれるのがわかる。一般の家屋の瓦がずれるの... 続きをみる
階級 0 無感 人体に感じないで地震計にされる程度。 吊り下げ物のわずかにゆれるのが目視されたり カタカタと音がきこえても、体にゆれをかんじなければ無感である。 1 微震 静止している人に感ずる程度のもので 戸障子がわずかに動くのが分かる 程度 ... 続きをみる
長岡地震 昭和36年 (1961年)震度5.2 直径2㌖の範囲に被害集中 死5 全壊220 広島県北部 昭和45年(1970年)震度4.6 最小級の被害地震で希な例 落石 納屋破損など ■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14 ■ ℡ 0742-43-81... 続きをみる
兵庫県南西部 昭和59年(1984年) 震度5.6 山崎断層の一部 ガラス割れなど家屋損傷多し 松代地震 昭和41年(1966年)震度5.4 群発地震全体でM6.3に相当 傷15 全壊10 島根県中部 昭和52年(1987年) 震度5.3 三枡山東麓 住家被害... 続きをみる
河内大和地震 昭11年(1936年)震度6.4 死9 傷5 全半壊148 大阪府下被害多い 鳥取県中部 昭和58年(1983年)震度6.2 倉吉、三朝周辺で地割れ 家屋損傷 軽傷5 和歌山県中部 昭和48年(1973年)震度5.9 深さ60㌖のやや深い地... 続きをみる
長野県西部地震 昭和59年(1984年)震度6.9 死不明29 全壊13 御岳山山腹大崩壊 吉野地震 昭和27年 (1952年)震度6.8 60㌖のやや深い地震、死9 傷139 全壊20 但馬地震 大正14年(1925年) 震度6.8 死... 続きをみる
新潟地震 昭和39年(1964年)震度7.5 死26 地盤液状化による被害顯著 津波発生 日向灘地震 昭和43年(1968年)震度7.5 死1 傷15 津波発生 日向灘地震では最大級 北丹後地震 昭和2年 (1927年)震度7.3 死2925 峰山町全焼 大阪 香川... 続きをみる
三陸沖地震 昭和8年(1933年)震度8.1 大津波発生 死3008 地震動による死者なし 南海道地震 昭和21年 (1946年)震度8.0 死不明1432 和歌山県、四国湾岸大津波 東南海地震 昭和19年 (1944年)震度7.9 死998 中京工業地帯大被害... 続きをみる
1948年6月15日 (昭和23年)日高川地震(和歌山県中部) 震度6.7 和歌山県・奈良県南部で小被害。全体で死者2人(十津川署管内)、 家屋倒壊60 地すべり・崖崩れなど。 奈良市では被害はなかったが、春日大社などの石燈籠3基倒れる。 1950年... 続きをみる
1944年12月7日 (昭和19) 地震名 東南海地震 (南海トラフ) 震度7.9 戦争末期に起こった巨大地震。東海地方で軍用機工場ほぼ全滅などの大 被害。近畿地方にも被害及ぶ。全体で死者998人、全壊6130。 奈良県では死1,傷17、全壊8... 続きをみる
1891年1028日 (明治24年) 地震名 濃美地震(岐阜県南西部) 震度8.0 日本内陸で起こった地震としては最大級。岐阜・愛知県で大被害 根尾谷を通る大断層を生じた。全体で死者72763人、全壊14万。 奈良県では死1人 傷2人 全壊16 18... 続きをみる
1707年10月28日 (宝永 4年10月4日) 地震名 宝永地震〔南海トラフ〕 震度8.4 我国地震史上最大級の地震の一つ。 震害と津波の被害は東海道から九州に及び、全体で死者4900人 潰家29,000 大和国では死者62人 潰家3219 ... 続きをみる
1596年9月5日(文禄5年 〈慶長1〉7月13日) 地震名 伏見桃の地震 (京都および畿内) 震度7.9 三条より伏見の間被害最も多く、伏見城天守大破、約600人圧死 諸寺民家の倒壊死傷多し。堺で死者600人 奈良では興福寺 ... 続きをみる
1494年6月19日 (明応3年5月7日) 地震名奈良 震度6.4 東大寺・興福寺・藥師寺・法花寺・西大寺破損。矢田庄(郡山の西) の民家多く破損。余震翌年に及ぶ。5月中は連日余震。 1498年9月20日 (明応7年8月25日) 地震名 東海道全般 南海トラフ ... 続きをみる
1361年8月1日 (天平16年6月22日) 地震名 畿内諸国 震度ー この月の18日より、京都付近に地震多く、この日の地震で、法隆寺の 築地多少崩れる。次の地震の前震か。 1361年8月3日 (正平16年6月24日) 地震名 畿内・土佐・阿波〔南海トラフ〕震度8.... 続きをみる
1099年2月22日 (承徳3〈康和1〉1月24日) 地震名 南海道〔南海トラフ〕震度 8.0 興福寺西金剛小破、大門と廻廊が倒れた、摂津天王寺に被害。土佐で田千 余町海に沈む 1177年11月26日 (治承 1年10月27日)地震名 大和 震度... 続きをみる
1070年12月1日 (延久2年10月20日) 地震名 山城 大和 震度6.4 東大寺の巨鐘の鈕切れ落つ。京都では、家々の築垣を損ず。 諸国の寺塔も被害を受ける。 1091年9月28日 (寛治5年8月7日)地震名 山城 大和 震度6.2 金峯山金剛蔵... 続きをみる
855年6月26日(斉衛2年5月5日) 地震名 奈良 震度不明 東大寺大仏の頭落つ。ただし これは地震によるものかどうか疑わしい点がある。 887年8月26日 (仁和3年7月30日) 地震名 五畿七道 (南海トラフ)震度8.6 京都で諸司の舎屋および民家... 続きをみる
地震 カミナリ 火事 親父 という諺がある様に 地震は前触れがなくやってくる その地震の 奈良県下に起こったものを紹介していく。 古いところから 各日3件づつでブログにする。 599年 (推古7年 4月27日)地震名 大和 M7.0 倒壊家屋を生じた ... 続きをみる
気象用語 晴れのち曇り 予報した前半晴 後半曇り 曇り一時雨 予報した時間の4分の1未満が雨の時 曇り時々雨 予報した期間の4分の1以上 2分の1未満が雨のとき 朝のうち 日の出から9時ごろまで 夕方 日没前後それぞれ1時間ぐらい 夜半 0時前後 週間予報 向こう1週間... 続きをみる
地震用語のうち 震度 はその人がその場で感じる揺れの強さを表すものである。 奈良は地震による大きな被害が ない と言われる方も少なくはないが 近い将来起こると考えられている 南海トラフトは10回 天武天皇の時代から起こっている。この地震による被害も大きいものであった。 有名な社寺仏閣に甚大な被害 ... 続きをみる
不快指数の算出法 不快指数=0.72×(気温+湿球温度)+40.6 68〜69 最も快適 70〜74 不快感を持つ人も出始める 75〜79 半数以上の人が不快感を持つ 80〜84 全員不快 86〜 もう我慢できない ※湿球温度とは、温度計の球部にガーゼを巻き湿らせて測った温度 (例... 続きをみる
冷房デグリーデは冷房に要するエネルギーを見積もるための指数である。家庭冷房では 梅雨の終わりを冷房開始日とすること考えられる。 梅雨の間は、雲が多く日照が少ないので除湿は必要であるが、梅雨明けとともに強い日差しが加わり、急に気温が上昇する。大阪を例にとると過去の梅雨明け前5日間の平均気温は24.5... 続きをみる
気象用語 ♯気圧の谷 本州を挟んで太平洋側と中国大陸の気圧は高く 日本海北部から朝鮮海峡 更に東シナ海にかけて気圧は低くなっています。一方、東経120度から140度にかけて北緯35度線を輪に切ると図のようになります。中央部で低く前線に沿って谷の帯が北東から南西に流れています。 気圧の谷には、低気圧... 続きをみる
♯益田池 碑の代石 弘法大師の築造の益田池は現在は存在しない。 昭和36年(1961年)にその樋と思われるものが掘り出された。 「和州旧跡幽考」益田池碑銘の条に 碑銘はなくなりて 台と見えし石あろい。俗に岩船といh。東西三丈二 三尺(約3.8㍍)高さ二丈五、六尺もありけむ。其頭に、五尺五寸(約1.... 続きをみる
橿原市 益田池 外部資料 中世の大和における興福寺や東大寺など寺院の強大な権力を持っていいた。;その時代も仏教界に革命的な変革をもたらしたのは、最澄と弘法大師空海であった。とくに大和においては弘法大師空海だった。南都と密接な関係を持ちながら、空海が開いた、真言宗を広めていった。東大寺 大安寺の別当... 続きをみる
今月のお薦めの本 5月の営業日 3日(土)4日(日)5日(月) 9日(金)10日(土)11日(日) 16日(金)17日(土)18日(日) 22日(木)24日(土)25日(日) 30日(金)31日(土)6月1日(日) 26日(土)27日(日)は臨時休業いたします 今月の行事 1日 氷室... 続きをみる
平安京と長谷寺 外部資料 平安時代において 藤原家の力が優勢のいなり その力の御蔭で春日大社 興福寺の勢力が大きくなった。かすがは摂政につぐ大荘園領主となった。 寛弘4年(1007年)時の関白藤原道長は京都から大和路に入り、大安寺 軽寺 壷阪寺 などに泊まり 金峰山に着き埋経供養を行った。この様な... 続きをみる
外部資料 中世の大和で圧倒的な勢力を持ったのは興福寺であった。平安時代から次第にその勢力を増大し、大和一国の支配につながる。その基盤となったのは、この寺を氏寺とする藤原氏の政治権力と経済力があった。藤原氏の保護で寺領も拡大していた。 大化改新で大きな業績を残したことで、藤原氏の繁栄に発展していく。... 続きをみる
♯藤原京 2 外部資料 持統 文武 元明と三代16年にわたって栄えた藤原京だったが、都が平城に移ってからは衰退の一途をたどることになった。は平城遷都の翌年には大官大寺とともに消失。甍を並べていた都の建物もやがて崩れ落ちて土中に埋まり、中世 近世 現在 へと、千三百年という長い時間を田地の下に眠るこ... 続きをみる
♯藤原京の年表 飛鳥村の天武持統両天皇陵 外部資料 わが国で初めて造営された本格的都城・藤原京。中国唐の長安を模して都造り。わずか16年で奈良平城京へ遷都した。その間には女帝持統天皇の崩御 そして孫の文武天皇の崩御があった。また海外との交流も盛んで、遣唐使や朝鮮半島の新羅には遣新羅使が送られて... 続きをみる