「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記

薬師寺周辺
豊臣秀長の妻 お藤

 

 豊臣秀長 外部資料            興福院 外部資料
豊臣秀長がは秀吉の命により 大和郡山城主として入城した。大和は神国と考えられ これまで寺院が管理されていた。秀長の郡山城主になることにより武家の支配になった。その秀長には正妻がなく 秋篠の豪族の娘お藤を妻にした。
そのお藤は 秀長が法華寺会式に参詣したときに応対に当った尼僧 お藤に心を奪われ懇望して郡山城に連れて帰り契りを結んだ。尼僧は戒律厳しい法華寺に戻ることが出来ず伯母の尼僧(心慶尼)のはからいで弘文院(現興福院)に入りその後弘文院の衆徒菊岡家で無事女児を出産 子供と共に郡山城に入った。
お藤は秀長によく仕え秀長が亡くなるまで城に居たが秀長が亡くなってから弘文院に戻った。一人娘お菊は長じて毛利秀元に嫁いだ お藤は今も弘文院の墓で眠っている。

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