薬師寺近くのうのんから大和の気象歳時記
赤膚焼き
赤膚焼きは一昨日ブログした。埴輪をこの地の土で製作されたと伝わっている。
埴輪造りをはじめた 野見宿祢は土師氏として菅原町に住居を構え 管原姓を天皇よりたまわり 管原道真 と続いていく。
室町時代から、この赤膚で風炉が焼かれるようになったのが赤膚焼きの素地になったと思われる。そして、奈良風炉はのちに京都でも焼かれるよになり、茶の湯の適した風炉が整えられていった。
天正2年(1574)豊臣秀吉の弟秀長が、大和大納言として大和郡山城の城主となった。秀長の家来に茶道遠州流の祖となった小堀遠州の父 小堀正次がいたぐらいなので、茶器にも明るかったと思われる。常滑から「与九郎」という陶工を招いて窯を開かせたのが、赤膚焼きの起源となった。
神器 奈良風炉を焼きた五条山一帯の陶工達も、城主の命によって、御用窯としての技術の向上に邁進したのである。
■ 住所 630-8053 奈良県奈良市七条1丁目11-14
■ ℡ 0742-43-8152