「うのん」の気象歳時記ブログ

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水稲栽培
大陸の稲作民が日本に移住して来た時 彼らは同時にトータルシステムの一環として 五穀も持ってきたと考えられます。純粋に稲作だけという農耕はなく またイネだけでなく 五穀もこの国土で自生した形跡は全く見られません。
 
 しかし この国土に定着した農耕の主力は やはり初めから水稲であったと思われます。「田」という字は漢語では本来陸田を意味し 水田に対しては特に「水田」と言わなければならず 朝鮮においてもそうであって 「水田」に対しては特に「水が冠で下が田」(パソコンで出こない字 朝鮮の字です)という朝鮮字をつくっているのに対して 日本においては「田」は初めから水田を意味し 陸田を表すためには 「畠 (白 田)」あるいは「畑( 火 田)という国字を新造しなければ ならなかったことからも それがうかがえます。

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