「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳時記№171 地震

先日の地震には恐怖を覚えました
被災に遭われた方々 また残念ながら尊い命を奪われることも起こり どの様にお悔やみ申し上げたらいいのか 本当に 悔しく悲しみを覚えます。

地震の記事
古代からの記録のある地震を紹介いたします。
西暦416年 允恭天皇5年秋7月丙子朔己丑 地震る。書記に見られる日本最古の記録。
西暦599年 M7.0 推古天皇7年4月7日 日本書記に 地動 舎勤 舎屋悉破 則令四方
      俾祭地震神とあって 当時の舎屋の堅牢度はさておき悉破とは相当な被害が
      想像され「地震神を祭らしむ」ともある。
西暦642年 皇極天皇元年 地震がたびたびおこった。
西暦684年 M8.4 天武天皇12年10月14日 土佐の国を中心に激悉な地震起こる。これ
      に先達ち天武7年から相当頻繁に地震がおこっていた。
      同8年には大和でも降灰現象の記録あり 12年の地震には大和の国では余波 
      を受けた。
             
①西暦734年M7.0
      聖武天皇天平6年4月7日 天平4・5年は旱魃 飢餓のあと6年には畿内七
      道諸国の地が大いに震い山は崩れ 地は裂くる上に圧死者多数という大地震  
      が起きた。
 西暦745年M7.9 
      天平17年美濃ではM7.9連日の自信地割れができ泉がわきだした。
②西暦827年 淳和天皇 天長4年7月12日 初震から後も地震は頻発し余震は年を越す。
 西暦855年 斉衡 大地震で東大寺大仏の頭部が地上に転落した。
③西暦887年M8.6 
       光考天皇仁和3年7月3日 申時地大地震動経歴数剋震猶不(三代実録)
       大和の国以外の国の被害は詳述されず。しかし相当の被害を蒙っていたこ
       とが察せられる。
④西暦938年M6.9
       朱雀天皇承平8年4月15日 興福寺年代記には 地震地破人死 とあり相
       当の被害を受けたものと考えていい。
 西暦1070年M6.4
       後三条天皇延久2年10月20日東大寺洪鐘震零諸国寺塔も被害を受く。
       扶桑略記


①から④は上の図の番号で場所をしめしています。
1952年までの大和の国の地震を書いていきます。

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