「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№173 地震

大和の国の地震 大きな社寺仏閣に被害 当時の住民の資料少なく

震度7を招かざるものとして描いたもの

同じ図です
⑪西暦1494年M6.4
      後土御門天皇明応3年5月7日大和の国には珍しい大地震で東大寺 興福寺  
      薬師寺 法花寺 西大寺及び矢田寺の民社多く頽損し余震は間断なく12月
      まで及ぶ なお文明年間(文明3年西暦1471年)
 西暦1498年
      明応7年8月25日大乗院寺社雑記に8月25日大地震 火神動以来来日々令連
      続也と余震が月を重ねたことを述べている程度であった。
⑫西暦1586年M7.9
      正親町天皇天正13年11月29日興福寺内築垣方々崩了 宝光院慈恩のつつみ
      も崩了・・・多門院日記に詳述あり
      飛騨地方を中心の地震としるしあるだけであったが被害は広範囲に及んだ
⑬西暦1596年M7.0
      後陽成文禄5年7月13日 京大坂での被害は大きかったが 大和の国では
      興福寺年代記に 慶長元年大地震としるしてあるだけであった 
      (地震があって文禄を慶長に改元した。)
⑭西暦1662年M7.6
      後光明天皇寛文2年5月1日 京滋賀での被害は甚大であったが 大和の国
      では軽微であった。
⑮西暦1707年M8.4
      東山天皇宝永4年10月4日 五畿七道に互った大地震で最大級の地震の一つ
      大和の国では62人が死亡 遺家3219 興福寺 法華寺ほか多くの寺で被害
      があった。(宝永地震)
 
マグニチュードが正しければ 東北の地震より大きなものだったことになります。

×

非ログインユーザーとして返信する