「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№109

奈良の底冷え
奈良は底冷えのキツイ所である。昭和30寝ん代始めのころから奈良市周辺人口増が目立ち始めこの人口増は自然増より社会増が主になっていて 奈良と周辺に住む人達の中に「京の底冷えは聞いていたが奈良がこんなに冷えるとは知らなかった」ともらす声をよく耳にする。都が平城から長岡京市⇒京都へ移り更に江戸に移る迄「京」の都へは文人墨客の訪れが繁く 津々浦々にまで「京」の都の模様が伝えられた。それに引き換え衰微の一途をたどった奈良は人々から忘れさられたのでしょうか。置き忘れられた分だけ冷え込んだ。そこで視野を拡げ関東以西奈良がどの様な位置にあるか 2月の最低気温月平均値(理科年表1951年から80年迄)より中部地方 中央部は当然のこと乍ら低く この図では軽井沢が最も低くなっている。能登半島から名古屋を結び本州の西半分を採ると 岡山についで奈良が低い 

次に日本海側の舞鶴から紀伊半島の南端汐岬まで 南北線上にある気象官署の1月 日毎の3時間おきの気温を10年間集計をこころみた。

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気温の高い汐岬は別にして 彦根 舞鶴のい日中は奈良に比べ余高くない。一般に日の出時刻少し前に最低気温はあらわれるが 最低気温が現れる少し前 6時の気温では奈良が最も低い。湖を持つ彦根 海に面した舞鶴は冷凍盆地の奈良の様な底冷えのしないことがグラフによって知れる。京都市も盆地であるが南西方向が展けており特に最近は都市型気候へ移行の傾向がみられる。

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