「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象№105

雪の積もった記録②
次に奈良県下の大雪について少し触れると 昭和26年2月14日(1951年)朝から降り出した牡丹雪は午前11時頃には30㎝程にも積り県下の道路は尺余の積雪で殆どの道が通行不能となった。当然当時の国鉄(JR)近鉄線は大混乱を呈し出勤はしたものの家に帰れない人も沢山出た。次は昭和38年(1963年)の豪雪で謂ゆる三八(さんぱち)豪雪である。県下にはよく積もる嵩の高い雪は主として低気圧が本州南岸を東に進みその際上空に寒気が入りこんで雪が積もる場合が多い。昭和38年の場合は強烈な冬型気圧配置が卓越し、北陸 山陰で降り残したが降り足らず本州中部我が県に迄も降りそそいだ年であった。その頃私は五条市野原に居て仕事の都合で週に二・三回天辻峠を越え大塔村に通った。天辻峠へ向う道は雪が深く峠から坂本まで山あいの吹き溜まりは陽もささず1㍍をこす雪が凍りついていた。高野山に近い野迫川村に入った時もそうであったが国道168号線では婁々道路閉鎖に会い立往生を余儀なくされた。また野原にあった当時の自宅の雪は春迄溶けなかった。
 江戸時代後期からの記録を拾ってみると 寛保二年(1742年)十二月五日畿内は大雪天保九年(1838年)三月三日丹波市町史(現天理市)に大雪とある。明治十年には報知新聞が次の様に報じている 「大和の国は稀なる大雪にて 本月三日より十一日迄雪が降り続き街道は行く処として二尺七 八寸の積雪ならざる地なく 吉野川の上み尾葉ヶ峰(叔母ヶ峰)辺は一寸五六尺も積りたれば 人跡も絶へたり 里老の物語りに七〇年来此の如き大雪は未だ聞かざる処なり」と西南の役に南国薩摩の土地で西郷軍と官軍が雪に悩まされ難渋した日時と一致 大和に限らず広い範囲で降雪 積雪のあったことが判る 再び丹波市町史に登上願うと明治十六年二月七日一尺余りの大雪とあり 明治四十年二月十一日にかけては県の北部で大雪がふった。奈良では気象台開設以来の大雪(21㎝)となり いままで発表したことがなかった「大雪警報」が発表された 

外部資料

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