「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳時記№93

水争い

地図をよく見てください 金剛山(1112㍍)と葛木山(960㍍)の鞍部から東の方水越川が流れています。水越川沿いの緩傾斜地と水越川の水が葛城川のに流れこむまで扇状地は時代と共に 開発が進んできたが 地形 地勢の関係で農耕用水の確保はむつかしく金剛山頂上付近に降った雨は河内側に流れ 大和側は唯見すごすだけでした。当時河内側と大和側の国境ははっきりしているようではっきりしていなかった。もし河内側が現在の府県境いよりも奈良県側に食いこんでいれば 金剛山頂上付近に降って流れ出た水は遠慮なく大和側に引水可能な状況でした。
大和への水を引くことを発願した森平乃進は年齢を考慮して 嫡子森定乃進に托し 定乃進は「かめ」を妻とし一女「つよ」進をもうけ成人した つよは上田角乃進とむすばれました。父平乃進の遺志を果し得なかった定乃進は条理を畫して角乃進に事業継続を依頼しました。事業の継続を快諾した角乃進は関屋に移り小屋を建て日夜水守の社にこもり祈願をこめ 万字御が滝 古瀬口(越口)行者の滝の両水を大和に引くことについて現地の実地調査を行い金剛山は大和領なりとの確信を得て 地国をつくり また土絵図をつくり 金剛山は大和領であることを画いた扇子をつくる等して河内大和の国境を明らかにしました。
角乃進は苦心惨憺身命を惜しまず努力を重ね 万字ヶ滝古瀬口の両水を大和へ引くことに成功し 遂に大願成就をみました。吐田郷の農民達は目の前にとうとうと流れ落ちる水を見て歓喜勇踊蘇生の思いをしました。かくして永年の悩みであった水不足が解消され 農民の生命たる水が確保されました

×

非ログインユーザーとして返信する