「うのん」の気象歳時記ブログ

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「春日の森の昔ばなし」から「鹿におじぎをした大臣」
春日大社の放物の中に、”春日曼荼羅"と呼ばれる神さまのお姿や社殿の絵を描いた掛軸があり、これを掛けて拝めば、春日さんへお参りしたのと同じ御利益があると昔の人は考えていました。
 この曼荼羅の中に、神主さんのようなお姿の春日の神さまが、白い鹿に乗っておられる絵があります。一番古いもので今から七、八百年程前ですが、その頃誰いうとなく、春日の神さまは白い鹿に乗って、鹿島から奈良の御蓋山へ来られた、といい伝えられておりました。 

                                        当時の古い巻物にも、タケミカズチの命は柿の木の鞭を手に持って、鹿に乗って鹿島を出発された。と書いてありますが、旅に出ることを、"鹿島に立ち"というのはここから起こった言葉なのです。だから春日の神さまは交通安全の守り神さまでもあるのです。

一体、奈良の鹿はいつ頃からいたのでしょう。有名な万葉集という歌集にも、この付近にいた鹿をよんだ歌がありますから、千二百年の大昔、春日野一帯に鹿がすんでいたことは間違いありません。しかしその頃は野生の鹿で、神さまとの直接の関係はなかったようです。
全国でも八幡さんの鳩だとが、大黒さんのねずみというふうに神さまのお使いは色々ありますが、鹿が春日さんのお使いと考えられるようになるのは、平安朝も中頃以降のことです。
その頃、字が上手なことで大へん高名だった藤原成行という中央の役人が、春日さんへお参りした際、参道で鹿に出合いました。彼はその時の感想を、「これは春日の神さまと心が通じあった証拠で、何かよいことが起こりそうだ」と、帰ってから日記に書きしるしました。
また、右大臣であった藤原兼実という人は、五才になる姫君の初宮詣に奈良へ来て、参道で鹿に出合った時、わざわざ牛車から降りて、鹿に頭をさげておがみました。当時は最初に出合った鹿にはおじぎをする習しがあったからです。

今日、せんべいをねだって鹿がおじぎをするのは、この人間がおじぎをしたのを見習ったのかもしれませんネ。それにしても、千年程昔は鹿の数は今のように多くなかったようです。

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