「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳時記№311 壬申の乱

大海人の かげろひに立つ の言葉は 私流に解釈せていただければ
大海人は吾城を通過壬申の乱へと発展していった。幸い大海人は近江朝との争いに戦勝し大化の改新以来くすぶり続けていた政争に終止符を打ったかにみえた。大海人は即位して天武天皇となりは後の持統天皇との間に生れた唯一の嫡子草壁皇子を擁立する為には 文武にすぐれ衆望を集めていた母違いの天武の長子大津皇子を取り除かねばならず 天武亡きあと一ヶ月も過ぎない短い間に持統帝によって大津の命は絶たれた。平穏な時間が流れ始めた。この平和も永続きせず草壁はあえなく世を去りいまや持統の頭の中には戦乱を政争に明け暮れしたことを振り返り行く末を案じる持統は次代を継ぐ草壁の遺児輕皇子に夫天武の志をつぎ草壁に託した望みを実現させるべくすべての愛を輕皇子(後の分武天皇)にお注いだ。一方阿騎野は大海人と鸕野讃良が共に歩んだ道であり草壁も何度か狩りを楽しんだ土地であって輕皇子は阿騎野に何を思い何を偲ぶか 天武の頃から宮庭歌人柿ノ本人麻呂と供奉する者達を供に阿騎野に遊んだ。今は亡き父草壁が壬申の乱のとき 歩んだときは十一才祖母持統からは何度もその時の話を聞かされていたと思われ、夜を徹して馬上に佇ずむ年若きプリンス輕皇子も十一才に成長していた。人麻呂と供にみたものは白刃を天空に投げた冴え冴えとしたキラメキにも似た凄絶な未明の曙光僅かに紅がさし やがて陵線に白い青淡い紅の広がりを見て持統を渦巻いていた苦悩と策略と希望を凝縮させた輝きが秀峯高見山をみはるかす伊勢路の山々に広がった 。山ひだには昨日来の雪が残り膚をさす冷気に眠りもやらず この有名な万葉歌が輕皇子に そして藤原京で彼を待つ持統帝に披露された。かぎろひの丘公園には今年も多くの万葉ファンが集うでしょう

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