「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳時記 №241 流れ②

長谷ダム(外部資料)

時代は下って記録もかなり詳しくなった天和六年(1620年)5月の大洪水 文化八年五月六日(1811年6月26日)の大洪水に続き約一ヶ月を経た同年六月十五日(1811年8月3日)にも水害に見舞われる洪水があった。俗に「長谷流れ」と称される大洪水で この長谷流れを慰撫する六字名号の碑が長谷寺内の奥まったところに建っている。


桜井市の「江包 大西のお綱の嫁入り」である この日素盃鳴る尊神社で行なわれる お綱祭り保存会では「和州祭礼記」より引用したおよそ次の様な由来記をいただいた。祭りの起こりは素盃鳴尊と稲田姫が共に三輪の地に祀られていたが 長谷川の氾濫に流され 文字通り川の曲がりを包みこむ様な江包で素盃鳴尊が稲田姫が大西で拾われこの二神を一緒にさせる為のお綱まつりが始まったと 起きた長谷川が氾濫した際は蛇になった稲田姫が川を渡り素盃鳴尊のもとへ行った事を祭りにしたと云い伝えられている。江包の雄綱は頭の部分だけで600㎏一方大西の雌綱も相当なものである。ある年一方の地区から形式的に小さな綱でやろうと申し出があり 大きな綱から小さな綱に切り替えたところその地区が荒れ 疫病が流行り死者も出るという崇りが起きた。もう一つ綱にこの地区の人の話しによると矢張りある年大きな雄綱・雌綱を簡素化した戸市があった。ところがその年大洪水が起きた。長谷川の氾濫である。この様なことから今もって古いしきたりを守っているのだそうです。

初瀬ダム(外部資料)

今大和川上流の初瀬川には昭和63年3月に完成した初瀬ダムがある。桜井市の上水用水の水源として また河川維持用水の補給 洪水調整と多目的ダムで洪水の危険から守っている。

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