「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳事記No.240 流れ①

 災害史年表を見ていると 大和の国で起きた大きな洪水は飛鳥時代から江戸時代後期に至る千二百余年の間に82回もかぞえることが出来る。明治に入ってからも10数回と頻度が多く庶民を悩ませてきた。
 今一度大和の国の地形を想起して下さい。周囲を丘陵と山に囲まれた青垣こもれる大和の国に降ってくる雨は 奥の浅い山から 山ひだを流れ落ちて勾配のゆるやかな平野部へ流れ下る。平野部の河川流路は川幅も狭く幾何学的形態をとっている。これは平野部の開発が古く開発過程の中で条理地割に沿う型で固定されたことによる為でしょう。平野部南東部から中央部へ流れる長谷川も直線的に流下せず条理地割にう規制されつつ直角に曲る階段状の形態となってまさに古典的形態を残した河川と云うべきでしょう。この様なことから短時間にまとまった雨が降る集中豪雨では水嵩は急に増し下流部では洪水となる。特に直角状に蛇行する地点では上流部側の水位を高め破堤洪水へと結びつく。長谷川の洪水について詳報を伝える初出は延長4年7月19日(926年8月29日)に長谷から大和川本流に沿って洪水の記録(日本紀略)があり 翌々延長6年7月12日(928年7月31日)にも扶桑略記は長谷川水益す流民家云々とあって僅か1年を置いて二度も大きな水災を受けたことが判る。長谷谷が平野部になった椿市 金屋から本流となる川沿各地の被災が記録されていて長谷川が暴れ川であったことが判ってきます。

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