「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くから 大和の気象歳事記№210 雨乞

水分神社
以前も水分神社についてはブログに書きました。少し違った見方から書いていきます。
「大和は国のまほろば 畳なずく 青垣山籠れる 大和のうるわし」とあるが青垣の 山腹から 山麓から 時には里から仰いで神の教示のままに自らの精神生活を律したのでしょう
縄文時代 BC14からBC4 人口晩期17万人
弥生時代 BC4からAD250 人口50万人
古墳時代 250年から592年
飛鳥時代 592年から710年
奈良時代 710年から794年   人口451万人
平安時代 794年から1185年


縄文時代後半から農耕が進展 水稲栽培への準備が出来る
米作りは 稲作は縄文時代後期約3,000年前に中国(大陸)から伝わる 経路は諸説ある
弥生時代には 水稲栽培が東北まで広がる
米は他の作物より栄養価が高く 人々の栄養状況も良くなり 人口が爆発的に増える
BC3には卑弥呼を女王とする倭国 邪馬台国は稻作栽培の農業がほぼ完成
米作りは個人では出来ない 水を支配管理する必要がある そこで 共同作業が始まり「結」がうまれる。
やまと平野は雨が少なく 雨乞が盛んになる

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