「うのん」の気象歳時記ブログ

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薬師寺近くから 大和の気象歳時記 №177 

地蔵堂と地名「伏見」について

伏見崗 伏見翁と云う文字が目に付く
西の京丘陵は上部から砂礫層 砂粘土の瓦層 粘土混り砂礫層 粘土層にわかれ 地上に降った雨はこれらの層を通りすぎ洪積丘陵の割れ目から地下水が泉となっている。尼ヶ辻
から唐招提寺に向う途中に弘法井戸があったりして秋篠寺や唐招提寺はこうした水にめぐまれた地域に立地している。

大和名所図会 から
また フシミは不死身と古代の人は解し土地の歴史考古学者松本俊吉氏は熱っぽく論じている これとは別に 明治24年伏見村から県に報告した報告書によると 旧弘文院町にある郵便局(現在移転)の北側に小高い丘があった。そこに石造りの阿弥陀如来が建っていてこの丘を伏見の丘と呼んでいる。聖武天皇が大仏殿を建立の際何国から来たのか一人の老翁がこの丘に来て三年間頭を北面し東向に伏していた。里人が姓名をたずねも答えなかった。時の人この翁を「伏見の翁」と名付けた。天平19年大仏殿がつくられ波羅門門僧上が奈良にきたとき菩薩と波羅門僧上がこの翁の所に来たので翁は起きあがり笑みをうかべて三人は菅原寺(喜光寺)に入った。その後翁は姿を消した。村人たちは行基に翁のことをたずねると 東大寺の守護神であるといったのでこの地を 東大寺守護神影向の霊地とした。
「大和名所絵図」に翁が家の前でねている姿をのせている。伏見と云う文字は「日本書記」に垂仁天皇を菅原の伏見ノ陵に葬る とあるのが初見でありましょう。
私はこの話を聴き「伏見」は東大寺建立まで伏して拝んだ老翁の居たばしょだから伏して眺めて見ていたばしょだから 「伏見」と云うのだと理解していた。

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