薬師寺近くから 大和の気象歳時記№172 地震
大和の国の地震
昨日と同じ図です
現在の奈良県では地震などで大きな被害は少ないように思われます。社寺仏閣など災害に遭った記録を目にすることがあります。
⑤西暦1091年M6.2
堀河天皇寛治5年8月7日 大和金峰山 金剛蔵王宝殿皆為地震破損古今末
聞云々(扶桑略記)庶民人舎の被害も大きかったことが思われる。
⑥西暦1096年M8.4
堀河天皇嘉保3年11月24日東大寺巨鐘また落つ。薬師寺回廊転倒 興福寺
西金堂仏像転倒後二条刺通記
西暦1099年
承徳3年正月24日南海畿内に大地震 興福寺西金堂破損大門が倒れる
頻発する地震に年号は康和と改元
⑦西暦1177年M6.2
高倉天皇治承元年10月27日 百練妙には刃刻大地震 東大寺言上 大仏
螺髪二口落観音前 又頂上螺髪抜け上又大鐘釣切落太地 又印藏刃寅角
頽落云々とあり 一般舎屋の被害推して知るべきである。
⑧西暦1185年M7.4
大地震 処々多転倒 唐招提寺千手観音破損中門も倒れた 大日本史
山槐記より
⑨西暦1361年
正平16年6月21日後村上天皇の御代本県に直接大被害 諸大寺 神社
大被害 多くの文献に詳しく出てくる
6月21日22日24日及び7月4日に大激震があり 大和国では 22日のが最も
甚だったらしい。
特筆すべきは22日 大地震の当日寒気に襲われて 陽暦にして7月4日であ
る。この日雪が降った 太平記にこの様を克明に書かれている。
⑩1449年M6.4
後花園天皇文安6年4月12日 大乗院日記には 文安6年4月12日大地震築地
(興福寺)忌以崩余震は7月まで続いたことを記録している。