「うのん」の気象歳時記ブログ

薬師寺近くの小さな本のある喫茶店

薬師寺近くの うのん から大和気象歳時記

「春日の森の昔ばなし」から
「藤原氏の氏神が四柱という謎」
この祭の広場に、南向きに四棟の立派な神殿が建てられたのは、奈良朝の中ばを過ぎた神護慶景雲二年、今から千二百年余り前のことです。
四棟に祭ってある四柱ー神さまは一人二人と数えるのでなく、一柱、二柱と申します。-の神さまというのは、向かって右から第一殿武甕槌命、第二殿 経津主命 第三殿天児屋根命、第四殿 比売神で、第一殿は前にもお話しした今の茨城県の鹿島神宮の神さま、第二殿は千葉県の香取神宮、第三と四殿は大坂府の枚岡神社の神さまです。

それまで春日のお山にはタケミカズチ一柱だけだったのが、なぜこのように四柱になったのでしょう。
当時の左大臣は、有名な鎌足(かまたり)の四代目の孫に当たる藤原永手(ながて)という人でした。永手はかねがね首都、平城の都の守り神とともに藤原氏の氏神として、その祖先である枚岡のアメノコヤネノ命とヒメ神を都の近くへお移ししたいものと、ひそかに念願しておりました。そしてその場所は方位からいっても平城京から真東、春日の地が最もふさわしいと考えたのですが、そこに先にもお話ししたように、エノモトから土地を手に入れたタケミカズチの神聖な祭の広場、それをおしのけてまで、とはいかに権力のある左大臣でもできません。永手は思案におくれました。


そんな或る夜、時の天皇、称徳女帝の夢枕にタケミカズチの命が現われ、「南向きの神殿を造って、フツヌシ、アメノコヤネノも共に祭れ」とお告げになったのです。
称徳天皇は藤原鎌足の血を引くいわば同族です。喜んだ永手は早速実行にとりかかりました。
社殿のなかったタケミカズチに対しては立派な御殿にお入り頂くことになるし、それと並べて、タケミカズチの力をより一層高めるため、フツヌシの命、そして永手がかねてからの念願である。ご祖先のアメノコヤネの命とその妃、ヒメ神の合わせて四柱を祭る四棟の御殿、つまり今日の 「春日大社」が、ここに立派に完成したというわけです。

×

非ログインユーザーとして返信する